Dr.喜作のブログ

2019年4月 の記事一覧

  • 4月17日 現在 私が気になる女性芸能人

    勿論私は 大の乃木坂ファンでありますから その中でも一押しのカズミンこと高山一実さんが 一番大好きな女性芸能人であることは 揺るぎありません。顔だちだけで気に入っているのは ナーチャンこと西野七瀬さんであることも全く変化はありません。でも ナーちゃんは先日乃木坂を卒業してしまったし 乃木坂の番組を見ても 物足りなさを感じてしまいます。但し乃木坂も四期生まで加わって 更に可愛らしい女の子が目白押しのグループになっているので ファンとしての熱が冷めたわけではありません。

    正直な所 四期生の顔と名前が一致しない子もいるので 四期生は隙も嫌いもありませんが 逸材ぞろいの三期生には 大いに興味があります。ナーチャンなきあとの現在の乃木坂で一番チャーミングなのは 三期生の与田祐希だと思いますし 他にも三期生には 久保史緒里、佐藤楓、山下美月など気になるメンバーが目白押しです。乃木坂以外のグループでは 欅坂の小林由依 日向坂の斎藤京子などいますが 坂道グループ以外にも たまには目を向けてみました。

    そうすると 現在テレビに頻繁に出演している女性で 気になっている人たちが 二人見つかりました。一人目は 東大に在学中でクイズ番組などで活躍している鈴木光ちゃんです。基本的に私は 自分が頭がよくない事を自覚しておりますので 賢い女性には 無条件で憧れてしまいます。ですから 光ちゃんのように 凄く沢山の知識量を誇っている女性には 無条件に魅かれてしまいます。最近では プレバトにも出演して俳句のセンスまで認められているので 尚更圧倒されてしまいます。そのうえに風貌が 清楚で凄くチャーミングなので 正直な所 ナーちゃんに匹敵するぐらいに魅力を感じています。

    私は とにかく頭の回転が早い女性を好きになってしまいます。奥様の事を無条件に大好きなのは 私とは段違いに頭の回転が早いからかもしれません。困ったことに奥様は 回転が早いだけではなくて 記憶力も優れているので 私が過去に適当にその場限りの事として 喋ってしまったことを 詳細に覚えていて 文句を言われてしまいますが まあ奥様に言われても それ程腹立たしさを感じないのは 惚れた弱みかもしれません。

    職業的に 囲碁の女性棋士も よほど高齢の方でなければ 抱いてみたいと思ってしまいます。最近話題の仲邑菫ちゃんは あどけなさの残る十歳ですから 流石に抱いてみたいとは思いませんが  あまりに可愛らしいので ぎゅっと抱きしめてみたいとは思います。私は囲碁を覚えて もう数十年が経ちますが 棋力は五級ぐらいからサッパリ上達しません。ですから 自分よりも圧倒的に強い女性に 尊敬の念も強いのですが スケベなジジイなので ついそんな自分よりも格上の女性を抱いてみたいという 欲望を湧いてきてしまいます。そんな訳で 鈴木光ちゃんも 本音としては 抱いてみたいのだと思いますが もしご本人を目の前にしてしまったら その存在感と言うか凛とした美しさに圧倒されてしまって 指一本触れる勇気は出てこないように思います。

    もう一人気になっている女の子が リンゴ娘の王林ちゃんです。リンゴ娘と言うのは 青森を拠点に活動している女性アイドル四人組で 王林ちゃんはその中の一人です。初めて見たのは「さんま御殿」に出演していた時ですが 王林と言う勿論芸名で リンゴの品種からとったのだそうですが 青森訛りが抜けないので 何処となく不自然な喋り方に見えるし 王林と言う変わった芸名から 中国人なのかと思ってしまいますが いざ喋ってみると 青森と言う田舎の いかにも純朴な女の子と言うのがよく分るので 大好きになってしまいました。訛りが抜けないのが 本人はコンプレックスみたいですが 可愛らしい女の子から発する言葉ですから 標準語よりもずっと魅力的に感じられます。

    顔だちは 大人しそうで可愛らしいので 小柄なのかと思っていたら 実は手足がすらりと長いモデルさん体形で 170センチも身長がありますので 驚きました。まあ今どきは 清純そうな顔や雰囲気をしていても すれっからしの女の子が多いので 彼女ほど純情で可憐な女の子とはなかなか出逢えそうにありません。私が引退したら のんびりした田舎に住みたいのは ご近所さんになる人たちが のどかで穏やかな人たちであってほしいからかもしれません。ひょっとしたご近所に住む御嬢さんが 王林ちゃんのように凄くチャーミングであるかもしれません。勿論王林ちゃん狙いで田舎に移住しようと考えているわけではありませんが 人間のんびりとしておおらかで 正直に生きていることが一番だと思います。

    鈴木光ちゃんと 王林ちゃんは 全く別の世界に生きているような女の子ですが 今後の私の人生で そんな女の子たちとお近づきになれたら嬉しいので そんな実現は不可能だと分っておりますが 儚い夢と希望を持って生きていこうと思います。

     

  • 4月15日 1983年の本日 東京ディズニーランドが開園しました

    私は どちらかと言うとインドア派ですので テーマパークの類にはあまり興味がありませんでした。子供の頃 多分幼稚園に通っていたころだと思いますが 父親と一緒に遊園地のジェットコースターに乗った時に 狂ったように泣き叫んだのだそうです。大昔のジェットコースターですから 現在の感覚で言うと それ程スピードが出ていたわけでもないでしょうし 急な傾斜を下り降りたわけでもないはずですが 兎に角それ以来ジェットコースターの類には断固拒否をしたのだそうです。

    その後小学生ぐらいになってからは 流石に男の子としてのメンツが ありますから 内心は凄くぴくぴくしながらも 友人に誘われた時には シブシブその他杭のアトラクションにも挑戦しておりました。でも正直な気持ち どうして人間はこんな恐ろしい遊具を好むのか 不思議でしょうがありませんでした。時代とともにジェットコースターも進化してしまい 宙返りしたり 後ろ向きに落下したり クルクルと回転したりするのが当たり前になってきました。日本のこの類の遊具の安全性は 世界に誇れるものの一つのようにも思えますが でも何年に一度が その類のアトラクションでトラブルが起こっているのです。自分が幸いそのトラブルに巻き込まれていないのは 運がいいだけなのかもしれないと思えてしまうのです。だから やっぱり今でも 正直な気持ちとしては 凄く怖いというのが本音です。

    そんなわけで ディズニーランド と言うものの存在は勿論知っておりましたが 私の生活とは全く関わりのない存在でした。所が 奥様と巡り合ってから 奥様がディズニーランドが大好きだったので 何度も訪れるようになってしまいました。初めて訪れてみるまでは 遊園地の規模が大きなもの 位と想像しておりましたが 自分で体験してみると 単なる遊園地と言うよりも 本当に現実とはかけ離れた世界だと感じられました。使い古された表現ですが まさに夢の国でした。

    私が訪れるのは 二月と十一月 と言う一番空いているであろう時期なのですが それでもお客さんが多すぎます。開園前からゲートに並んで 開園と同時に入場して 目当てのアトラクションの行列に全力疾走します。私はスタンバイつまりそのアトラクションに直接乗り込む人たちの行列に並びます。奥様は そのアトラクションのファストパスを獲得するための行列に並びます。開園の一時間以上も前から ゲート前で並んでいますので そんな風に二人で頑張れば 人気のアトラクションを午前中の早い時間帯に二度楽しめます。それからは人気のアトラクションの待ち時間を調べて 効率よく 待ち時間を少なくするために頭を絞りながら 園内を移動します。

    それにしても ディズニーランドは お客さんが多すぎて アトラクションの行列に並んでいる時間と パレードや催し物をみやすい位置で楽しむための場所取りのために時間が長すぎるのが 最大の欠点だと思います。朝八時から夜八時まで十二時間園内にいるとしても そのうち半分以上が待ち時間なのですから せっかくの夢の国にいても 凄く勿体無いように感じます。

    昔アトラクションの行列に並んでいる時に 親子連れが私のすぐ前に並んでしました。子供が行列に並ぶのに飽きてしまってぐずり出しました。もう帰りたいと泣き出したのです。お母さんは子供さんに ディズニーランドはとっても楽しい所だけれども その楽しい思いをするためには 人間はいつも辛抱をしなければならない と言う事をおしえてくれるから ディズニーランドは素晴らしいのよと 諭していました。子供には 分り辛い事だったでしょうが お母さんの気持ちが伝わったみたいで また大人しく行列に並んでいました。このテーマパークは 楽しい事の為には 辛抱をすることが 必然なのだ と言う人生の大きな教訓を与えてくれるから 素晴らしくて 何時も行列に延々と並ばされるけれども 懲りずに人々が集まるのだと思いました。

    そんな訳で 一時期は 春と秋の旅行と言えば ディズニーランドが定番になっていた時期がありました。またその時期には 定宿にしていたホテルオークラで 会員限定のかなりお得なプランが しばしば企画されていましたので 尚更ディズニーランドに出かけることが多い時期がありました。ところが ディズニーランドのチケット代がどんどん高騰していきましたし ホテルオークラの宿泊プランにも あまり魅力的な物が無くなってしまいましたので 根がけちん坊な私は 自然と他の地域への旅行を企画するようになりました。

    一時期 気に入って盛んに通っていたのが ナガシマスパーランドです。ここは特にジェットコースター系のアトラクションが かなりたくさんあって 相当に楽しめます。もう一つこの遊園地がありがたいのは 私が訪れる時期が 特にお客さんの少ない時期だからなのでしょうが 殆どそのアトラクションの入り口に辿り着いたら 待ち時間なしですぐに乗れます。新しく出来た人気のアトラクションの場合は 流石に多少待ち時間が発生しますが それでも十五分位です。ディズニーランドのように園内に滞在している時間の半分以上も行列に並ぶことはありえないのです。但し人気のアトラクションの場合 凄く長い行列にも対応できるスペースがかなり広く存在していますから 混み合う時期には やっぱり相当な待ち時間を覚悟しなければならないようです。

    そんな訳で 最近は 大分ご無沙汰しているディズニーランドですが 仕事を引退したら 年間パスポートを購入して キャンピングカーで寝泊まりして 徹底的に楽しんでやろうと考えております。仕事を引退してしまったら 時間の制約が無くなりますから 並びながら音楽や映画を楽しむアイテムを持参して のんびりと行列に並びながら ジックリとディズニーランドを楽しむ予定です。ですから あと少し仕事を引退するまでは 訪れることはないと思いますが 何時の日かそんなのんびりした訪問が出来る日を楽しみにしております。

  • 4月14日 私は本当にけち臭い 器の小さな人間です

    幾らか暖かい日が続いたと思ったら 急に冷え込んだような気がします。昔のように 体力と言うか病気に対する抵抗力がないので すぐに風邪をひいてしまいます。今朝から鼻水が止まらないし クシャミも辛抱できません。鼻水が出ると 昔ならちり紙 現在ならティッシュで鼻をかみます。先日放送された 「踊るさんま御殿」で 今どきの若い人たちは 何気なくウェットティッシュを使う と年寄りメンバーが発現していました。

    私たちの感覚では ウィットティッシュとは 特別な存在で ここ一番と言う時にしか使用しない感覚なので 若者たちが手軽にウェットティッシュを使うのが理解できないという事です。現実に一枚当たりの単価を比べてみると どちらもたかがティッシュペーパーですから 価格的には微々たるものですが 普通のティッシュに比べて ウェットタイプは十倍近くするのです。普通のティッシュペーパー自体が 子供の頃には存在していなくて 箱から簡単に引っ張り出せるタイプのティッシュペーペーが出現した時には その柔らかさと 簡単に取り出せる便利さに 感動したのを覚えています。

    それからだいぶ経ってから 更に進化したウェットティッシュが登場した時には 更なる驚きを感じました。それまでは ウェットタイプの手を拭くアイテムは 結構上等のお菓子などについてくる 包み紙を破いて取り出す お手拭しかありませんでした。ですからウェットタイプの紙で 手を拭く作業は 上等のお菓子を食べるときだけに許された 特別な行為だったのです。ですから 年寄り組の感覚では 今どきの若い人たちが 気軽にウェットティッシュを使用してしまう事に どうしても違和感を感じてしまうのです。

    まあここまでは テレビのバラエティー番組で取り上げられるのですから ごく一般的な世代間ギャップの一つにすぎないのだと思いますが。貧乏くさくて 本当にけち臭い話を書いてしまって申し訳ないのですが 私は 単価の安い普通のティッシュペーパーですら 鼻をかむときに それもかなり頻繁に噛むときに 一枚のティッシュペーパーで二度三度と鼻をかむのです。初めてそのティッシュで鼻をかむときに 正方形の紙の一角を使用します。鼻をかんだ後机の隅っこに目立たないように片付けておいて 暫くしてまた鼻をかみたくなった時に その使いがけのティッシュの別の一角でまた 鼻をかむのです。

    私が子供の頃には 子供の必須う持ち物として ハンカチとちり紙を折り畳んだものをポケットに忍ばせるのが 推奨されていました。ティッシュペーパーよりもさらに単価の安い鼻をかむための紙を使用しながら 育った世代なのです。私のDNAには 恐らく普通のティッシュペーパーですら 贅沢品であると認識していまう感覚が植えつけられているのだと思います。

    便利な世の中になったのだから 便利な文明の利器と言われるものは 当たり前に利用するべきなのでしょうが 私はいまだにガラケイと呼ばれる携帯電話を使用しております。スマホが登場したての頃には 確かに機能的には段違いに便利であるが その分使用料が幾らか高額だったはずです。機械音痴の極みのような私には とてもスマホの性能を十分に活用できないであろうと判断して スマホへの切り替えを未だに拒んでいるのです。

    友達が殆どいない私ですから ラインのメンバーに加えてもらえなくて寂しい思いをしたくないから スマホに切り替えたくないという気持ちがあるのかもしれませんが どうも私は 素直に文明の利器の恩恵を被ることに 何となく抵抗を感じてしまうのです。不器用な生き方しかできない人間ですから 友達が殆どいなくて寂しい思いをしているのかもしれませんが もう還暦を過ぎておりますので 今更この困った性分とは縁を切れないように思います。まあ私が人一倍不便な生き方をする分 奥様がそれなりに賢くて 世の中の便利な恩恵を被っておられますので 何とかバランスは取れているように思います。

    世の中の一般的な動物病院の経営者さんの生活とは かけ離れた貧しい生活をしているのかもしれませんが 全ては引退してからの優雅な隠居生活の為と 割り切ってあと少しだけ慎ましく生きていこうと思いますので皆さんよろしくお願い致します。

  • 4月12日 振替休日が 法律的に制定されました

    1973年の本日 国民の祝日に関する法律 と言うものが 改定されて 振替休日なるものが制定されました。但し振替休日なる言葉自体が その法律には存在していないのだそうです。法律と言うのは その道の専門家が 専門家にしか分り辛いためにそうしてあるのかどうかは定かではありませんが その法律の条文としては 法律独特の分りにくい難しい表現で 振替休日を表しているのだそうですが そのような言葉では 一般国民にその意図が伝わりにくそうなので 俗称として「振替休日」と言う言葉がもちいられているのだそうです。

    昔日本人は 外国人から「エコノミックアニマル」等と呼ばれて 嘲笑われていた時代がありました。日本は第二次世界大戦で 初めて対外戦争に破れてから 何とか敗戦の雪辱を果たそうとして 経済活動に打ち込みすぎたがために そんな蔑称で呼ばれてしまいました。日本の経済力を軸とした国力は 敗戦から急激にv字回復を示しましたので その急速な回復ぶりにやっかみも込められていたのかもしれませんが 日本人があまりに頑張りすぎ 働き過ぎていた時代であったのも間違いないのかもしれません。

    そこで政府としては 何とかもっとゆったりと休日を過ごせるような制度はないかと 探してみた所 それまでは国民の祝日が日曜日と重なってしまった場合 国民としては何だか損をしたような気持になっていたのをくみ取ってくれたのかどうかは分りませんが 翌日の月曜日を休日に振り替えることによって 幾らかでも国民がのんびりできるのではないかと言う判断をしてこのように法律が改定されました。私はこの改定によって 国民の休日が増える事の趣旨には賛成します。とても良いように法律が変化したと思います。

    所が後に登場するハッピーマンデー法と言うのは とんでもない悪法だと思います。国民の祝日が制定されたのは その日に因んだ大事な理由があるのです。所がこの悪法は 単に国民の休日を増やさんがために 祝日をその時期の月曜日に変更してしまったのです。それでなくても 現代の風潮として 祝日を単なる休日としてしか考えないようになっているのに 何の謂れもない日に祝日を持ってきてしまっては その祝日の意味合いを考える機会が全く失われてしまいます。

    例えば体育の日と言えば 東京オリンピックの開幕した日に因んで 10月10日と定められました。別に今更 東京オリンピックが開催された時代を思い起こして どうのこうの等と申し上げるつもりはありませんが 私が子供の頃には10月10日に 必ず地域の大人も参加する市民運動会の日でした。ある意味 その地域のオリンピックみたいなもので 走るのの得意なオジサンたちが スターになれる特別な日だったのです。勿論その日が 東京オリンピックの開幕に因んだ祝日だ 等と考えながら運動会を頑張ったわけではありませんが 兎に角その日は 皆で頑張って運動をする日だという気持ちで凄く盛り上がっておりました。今年は10月14日が 体育の日ですが 今も同様に市民運動会の類がこの日に開催されているのでしょうか。何となく私にはピンと来なくなっていますが 何の謂れもない日に運動会をやっても それほど盛り上がらないように思うのは 私だけでしょうか。

    まあ現在の所 自営業をしておりますので 祝日と言っても水曜日以外はお休みになるわけでもないので 祝日が増えようと 連休が長く続こうと 自分には全然関係がありませんので どうでもいい話ですし もう少ししたら毎日が日曜日のご身分になりますから そうなってしまったらますます興味のない話になってしまいそうです。少しでも早く毎日が日曜日の立場になりたいと願う今日この頃です。

  • 4月11日 本日はガッツポーズの日なのだそうです

    1974年の貧実 ガッツ石松さんが KOで世界タイトルを奪取した時に 両手を突き上げたポーズが ガッツポーズの始まりだと言われています。と言う事はそれまでガッツポーズ自体が存在しなかったのでしょうか。それともその類のポーズはあったけれども 明確な名称が無かっただけの事なのでしょうか。当時 私は中学高校に通っていたころです。ちょくちょく友人たちとボーリングなどに出かけましたが ストライクが取れた時には 自然に右手の握り拳を突き上げるようなしぐさは してやったりと言う気持ちを示す決めポーズとして 行っていたように思います。ただそのポーズの名称など考えたこともなかったのかもしれません。

    何時の間にかガッツポーズと言う言葉がボクサーのガッツ石松さんとは 遊離して独り歩きを始めて 世の中に浸透していったのだと思います。ですから今のお若い方たちの場合 恐らくガッツポーズと言う言葉とその意味は理解されるのだと思いますが ガッツ石松さんに由来している言葉であることなど 全くご存知ないのだろうと思います。今では 爺さんになってしまいましたから テクテク歩く事ぐらいしか 大した運動はしていませんので 体を動かしてからのガッツポーズと言うのは 全く無縁の生活を送っています。現在 極たまにガッツポーズを取る機会があるとしたら、カラオケの採点で高得点が出た時ぐらいのものでしょうか。

    年をとると 感情表現をする機会が減っていってしまって あまり感情の起伏もない生活をしているみたいです。でも体が老化することは 致し方のない事ですが 気持ちまで老け込んでしまっては ほ

  • 4月10日 本日は 駅弁の日なのだそうです

    駅弁記念日というのが 別にありこちらの方が もう少し認知度が高い様に思います。日本で初めて駅弁が販売された日である1885年7月16日に ちなんだ記念日なのです。本日を駅弁の日と定められたのは 割と最近の話みたいですし 何故4月10日になったかと言うと 弁と言う漢字に数字の4と10が 含まれているように見えるから と言うかなり説得力に欠ける理由からみたいです。殆ど因果関係がない事と 弁と言う幹事にちなんでいるのなら 弁当の日としてもいい様に思いますから 恐らくこの駅弁の日の認知度が上がっていくことは今後も期待できないのかもしれません。

    私はこのブログに何度も書いておりますが 二十代の頃 かなり鉄道による旅にはまっていた時期がありました。鉄道の旅を計画するには まず時刻表が必要不可欠でした。今のようにネットで何でも簡単に検索できてしまう時代ではありませんでしたから 時刻表が無ければ 何にも始まりません。当時は 国鉄 現在のJRと交通公社が発行している時刻表がメジャーでしたが 私は交通公社が発行している時刻表のファンでした。勿論掲載されている電車の発車時刻などの内容は同じなのですが 紹介されている観光地やその時期に開催されている行事の紹介記事が好みに合ったのだと思います。

    二十代と言えば 私にとっては 一つ目の大学を卒業して 短い間でしたがサラリーマン生活を経験して 受験勉強をやり直して 二度目の大学に入学して と言う私の人生において激動の時代でしたから サラリーマン時代以外は お金のない生活を強いられておりましたので もっぱら時刻表旅行 と言うおカネの一銭もかからない遊びに勤しんでおりました。まずは具体的に日程を決めます。旅行の日数と目的地を適当に定めて まずは出発する駅から どの列車に乗るかから 考えていきます。朝一でスタートする方が 効率的に回れる場合もありますし 夜行列車を利用する場合には 夕方スタートするケースもあります。

    取り敢えずは お金のない時代なので 特急や新幹線の利用は辛抱します。当時は 周遊券と言うチケットが流行っておりました。周遊券は 例えば四国や九州などの目的エリアが決まっていて そのエリアまでの出発駅からの往復と エリア内の電車が乗り放題なのです。但し特急には乗れないので 急行列車をいかに有効に活用するかが その旅行を効率的なものにするか 否かを 決めていたように思います。私の人生で一番お金のない生活を経験したのが 岐阜大学に通った六年間でした。自力で学費や生活費を稼ぎながらの生活でしたから バイトに明け暮れていましたし 勉強も頑張りました。獣医師の場合最後に獣医師免許の国家試験が待っていますから 学業にも力を入れざるをえなかったのです。

    そんな貧しい生活を六年間送っている時に 一番時刻表旅行を楽しみました。大判の時刻表でしたから ページの一番下の欄に その地域の名物のお弁当やお土産が紹介されていましたので その列車に乗ったと仮定した場合 当然その名物お弁当を頂いた気持ちになります。時刻表の最後の方に 地域別の旅館やホテルと一泊二食付の標準的な料金まで紹介されていましたので どんな旅館七日までは分りませんが 自分で妄想を膨らませて 宿泊して 温泉があれば勿論ゆっくりと浸った気分を楽しみました。最終的に 出発駅まで戻ってきたら 旅行として一応完結します。最後にかかった料金 交通費に宿泊費 食事代 場合によってはお土産代まで 含めて合計金額を算出して 私の時刻表旅行は完結していました。

    その旅行では 見たこともない駅弁を想像しながら 食べた気分になる と言う虚しくて寂しい体験を何度も繰り返しました。悔しいけれど現在はお金のない生活だから 致し方のないことだけれど 働き出したら 思いっきり鉄道に乗って旅をしようと思っていましたが 現在は 旅行に出かけるのは もっぱら小っちゃくてオンボロな往診車を利用しています。鉄道に揺られながら のんびりと駅弁をつつく旅行も楽しいのでしょうが やはり年をとったせいか 重い荷物を持って駅の階段を上り下りするのが面倒だからだと思いますが ついつい車での移動を選択してしまいます。

    百貨店や大きなスーパーで 時々駅弁を集めて販売する催しが開かれています。価格的には 駅弁と言うのは結構高いめに設定されているような気がします。でも旅の気分が味わえるおまけがついているので 普段はケチな私が財布のひもを緩めて 結構どっざりと買いこんでしまいます。昔は 駅のホームで列車の窓から オジサンにお金を渡してお茶と一緒に買い込んだものでしたが 現在の列車は窓があかなくなりましたし 停車時間も昔に比べて短くなったような気がしますので 電車に乗る時に駅で買わざるを得ません。特急や新幹線の場合 車内販売がありますが 急行か快速列車ばかり利用する貧乏旅行では 車内販売のお姉さんを見かけることはありません。

    こんなことをダラダラと書いていたら 駅弁が食べたくなってきました。私が駅弁で一番好きなのは 富山に住んでいたことがあるからでしょうが 鱒ずしのお弁当です。生魚のおすしではないので 今ならネットでも買えるのでしょうか。調べて 手に入れて 思い切り頬張りたいと思います。

  • 4月8日 昼間は 暑かったです

    つい先日まで と言うより昨日まで エアコンの暖房のスイッチをオンしていたのに 今日の昼間は 冷房のスイッチを入れたい位に暑く感じました。こんなことを言うと 自分が年寄りになったことを実感させられるので あんまり書きたくはないのですが 私が子供の頃には 日本は四季のある国だったという事です。春 夏 秋 冬と言う四つの季節が 均等な長さで存在していたのかは 定かではありませんでしたが四つの季節がそれぞれに存在感がありました。

    子供の頃の暑さをしのぐ手段は 扇風機しかなくて 寝るときに氷枕やアイスノンがあればいい方でした。そして扇風機だけの生活で 何とか凌げる位の暑さだったように思います。今では ゴールデンウィークの前後にその年初めての夏日が記録されて 最高気温が25度を超えてしまいます。でも 子供の頃夏休みの宿題で 毎日寒暖計で室内の気温を記録していましたが 確か朝十時頃に寒暖計を見ていたように思いますが 概ね二十度台で三十度に達する日は殆どありませんでした。ラジオ体操の為に七時前に起床していましたが 朝顔が裂いている時間帯は 結構ひんやりしていたように記憶しています。

    母親は口癖のように 午前中の涼しいうちに 宿題をやりなさい と言っていたように思います。昼を過ぎて一時から二時頃が 一番暑かったので その時間帯は外出させてもらえませんでした。でもその頃虫取りに夢中になっていましたから セミやバッタなどを取りに出かけたくてしょうがありませんでしたので 母親の目を盗んでは 補注網と虫かごを持って コッソリと出かけたりしておりました。夏休みが終わると 不思議と毎年すぐに涼しくなりましたので 扇風機が押入れの奥に片づけられました。

    しばらく 暑くもなくて それほど寒くもない時期 所謂秋と言う季節がありました。秋のメインイベントは 運動会で十月の半ばに毎年開催されていましたから その時期は しっかりと秋でした。何時の間にか肌寒くなり 男の子のズポンが半ズボンから長ズボンに変わり 当然シャツも半袖から長袖に変わって 徐々に冬を迎えました。我が家は その頃団地住まいだったので 暖房器具と言えば 石油ストーブが主役でした。十一月の後半に押し入れから登場して 年が明けて暖かくなるまで 大活躍してくれました。薬缶をのせておけば 何時でも沸騰したお湯が利用できましたし お餅やするめ 銀杏などいろんなものを載せて焼きましたから 凄く暖かくて 便利な道具でした。

    夏の暑さは 子供の頃よりも気温の数値的にも明らかですが 年々厳しくなっています。でも冬の寒さの厳しさは 子供の頃と殆ど変っていないように思います。スキー場が雪不足で悲鳴を上げているニュースは 時々見かけますが 相変わらず寒さによる災害は 毎年コンスタントに起こっているように思います。地球が温暖化しているので 夏の暑さが厳しくなっているのなら 冬の寒さも目に見えて穏やかになっていてほしいものです。

    こうやって子供の頃と現在を比較してぼやいているのは 最近の若い者は 等とぼやいているわびしいお年寄りと一緒だと思いますから なるべくぼやかないようにしたいのですが 年を上手に重ねて 穏やかで丸みのある人間に変化していけばいいのですが 体型ばかりが丸みを帯びてしまって 情けない話です。こんなぼやいてばかりの文章 誰も読む気にならないのでしょうから 本日はこの辺りでお終いにさせて頂きます。

  • 4月6日 服装に悩んでおります

    こんなタイトルをつけると 何だかお洒落な気分で 自分の服装に悩んでいるような誤解を受けてしまいそうですが 全く違います。私は 自分の見てくれの悪さ つまり顔の造作の拙さや 凄いデブであること 等は自覚しておりますので 自分の服装については 最低限に清潔であることぐらいしか 気をつかっておりません。本来なら 見てくれが悪いのだから猶更 その服装だけでも 洒落っ気がある方が好ましいのかもしれませんが 私は若い頃から こんな外見の人間が お洒落に気遣うのは 滑稽でありおこがましいと感じてしまうのです。

    ですから この所の服装に関する悩みも お洒落な気分で 悩んでいるわけではないのです。要するに 現在の気温 と言うか暑さ寒さが 中途半端なのに困っているわけなのです。私の服装は 大雑把にいいますと 夏用と冬用の二パターンしかありません。つまり夏用は 上は下着の半そでシャツに半袖のポロシャツの重ね着、下半身は 年中下着のパンツにジーパン そして素足にサンダル履きと決まっており ここ二十年位変化がありません。冬用は 単に夏用にプラスする事 トレーナーを一枚着用するだけなのです。

    ここの所 流石に桜も咲き始めておりますし 昼間は結構ポカポカしてきておりますが 朝夕は まだまだ結構冷え込みます。ですから 朝風呂から上がって 服を着るときについついこれまでの習慣もあってか トレーナーを着てしまうのです。所が 風呂から上がって 病院に下りた時に すぐにバタバタと仕事があったりすると すぐに汗ばんでしまうのです。昼間も 患者さんが立て込んで 忙しくしたときなどには やっぱり額に汗が浮かんでしまうのです。暑ければ トレーナーを脱げばいいのですが 途中から脱ぐと いかにも太っていて暑苦しそうだと 思われるのが恥ずかしいので なかなか脱げないのです。飼い主さんにしてみれば 私がトレーナーを着ていようが脱いでいようが どうでもいい事なのは 分っていますが 何となく気恥ずかしいのです。

    すんなりと朝夕も暖かくなってくれれば 潔くトレーナーをお別れできるのですが 浅野何となく肌寒さを感じてしまい ついついトレーナーを手放せないので 悩んでいるのです。奥様からは トレーナーよりも薄手の長袖シャツを着るようにアドバイスされるのですが その類のシャツは もう何十年も着用していないので 別に服装に拘りがあるわけでもないのに 何故か拒否してしまいます。

    どっち道今年も あっと言う間に暑くなって 現在はエアコンを暖房で使用しておりますが すぐに冷房のスイッチを入れるようになるはずです。エアコンのスイッチを 仕事始めに入れない つまり暖房の冷房もしない時期が あまりに短すぎます。私が子供の頃には 日本にはちゃんと四季があったように思います。夏は暑くて 冬は寒い と言うのは今も変わりませんが その間に少なくともひと月以上は 丁度いい気候の春と秋が存在していました。

    昔私の家での暖房器具と言えば 炬燵と石油ストーブでしたが それらを片付けてから 夏用の暑さ凌ぎと言えば 勿論扇風機しかありませんでしたが 押し入れから扇風機を引っ張り出すまで そこそこの日にちがあったはずですが 現在の日本の気候は 四季がある国 と言うよりも夏と冬の二つの季節しかない 過ごしにくくて風情のない残念な国になってしまったように思われます。

    暑い日を表現するときに 昔と言うか私が子供の頃には 最高気温が25度を超えたら「夏日」と表現していました。その表現は今も変わりませんが 最近では その年の初めての夏日は 大抵ゴールデンウィーク辺りに記録されます。そして「真夏日」や[猛暑日」を何度も記録しながら 夏と言う季節がずっと十月まで続いてしまいます。五月から十月まで 実に一年の半分が夏なのです。地球温暖化が進んでいるからだ と簡単に理由付けする人が多い様に思いますが 私は地球温暖化と言う言葉をあまり信用しておりません。

    確かに最高気温が四十度を超えても さして驚かなくなりましたから 日本の気候が 温帯から 亜熱帯に変化しているのかもしれませんが でも冬の寒さ 気温や積雪量は 子供の頃と殆ど変っていないように感じるからです。地球規模でみると 南極や北極の氷の量が確実に減少していますから 温暖化が確実に進んでいることは 否定のしようがありませんが 冬の寒さの厳しさは 子供の頃となんら変わらないように思いますが それは私が鈍感なだけなのでしょうか。

    まあ何にしろ私の目の前の問題 トレーナーを何時ごろ脱いでしまうのかは 現在の所見当がつきませんが いずれ近いうちに 私の服装が 冬用から夏用に変化するのは間違いないでしょう。こんなどうでもいい事で 本日もダラダラと書き綴ってしまいましたことを お詫びいたしました終了とさせていただきます。最後までお付き合いいただけた方は 数少ないと思いますが 心より御礼申し上げます。

  • 4月5日 今年も一つ目の大学時代のサークルのメンバーとの食事会へのお誘いメールを出しました

    一つ目の大学で たまたま混声合唱団に所属していました。その時のメンバーで    在学中は枚方とは縁のなかったメンバーが 私を含めて四人枚方にたまたま在住している事が分りました。それで せっかく同じ枚方に住んでいるのも何かの縁ですから 一緒にご飯でも食べましょう と言いだしっぺの私が呼び掛けて 三年前に一度食事会を開きました。その時に 次回の幹事を他のメンバーにお願いしましたが その方が 個人的な事情でかなり忙しくなられてしまったので 仕方なく昨年二回目の食事会も私が 幹事を務めて開催しました。一回目の参加者が五人だったのに対して 二回目は十一人と倍増しました。人数が増えると 日程の調整や 連絡作業など 幹事としての仕事は増えて大変でしたが やはり人数が多い方が 盛り上がりましたし 皆楽しんで頂けたみたいです。

    で その時に 出来たらこの食事会を毎年定期的にやろうよ という声が上がりまして 私がめでたく常任幹事に指名されて満場一致の拍手で 簡単に決まってしまいました。時期としては 五月はゴールデンウィークがあり 皆さん何かと忙しいであろうし 出費のかさむ時期であろうから その翌月の 梅雨の時期にかかっているかもしれませんが 六月頃にしましょうと 言う事になりましたので その時期の二か月前になりましたから 取り敢えずは日程を決めるために 六月の土日で 都合の悪い日を確認するメールを昨年の参加者の皆さんに 昨日送りました。

    早めに返事をお願いしますとお願いしておりましたが 翌日の今日には ほぼ全員から 参加にかなり前向きの返事を頂きました。まだ二か月も先の話ですから 直前になって どうしても外せない用事が入る方もいらっしゃるかもしれませんが 参加に意欲的な声が聞けたので 昨年結構楽しんで頂けたのでしょうし 今年も頑張って準備をしようと言う気持ちになりました。私としては 昨年よりも参加人数を増やしたい気持ちですので 昨年の参加者に 親しくしているメンバーや配偶者の方に声をかけて頂くようにお願い致しましたが どうなる事かは 今後の展開を楽しみにしたいと考えます。

    集まりの幹事と言うのは これまであまり経験がありませんでしたが やってみると結構大変です。色んな方面に気をつかうし 連絡もこまめにとっておかないと すっぽかされそうで不安になりますので どうしても私の事ですから ダラダラと長ったらしいメールを頻繁に送ってしまいます。まあそんな苦労をしても 少なからぬ方々が喜んで集まって下さるのなら どうってことはありません。今年もまた 頑張って幹事としてのお仕事を務めあげようと思います。

  • 4月3日 グータンヌーボのナーちゃんを見て 安心しました

    ナーちゃんとは 乃木坂を卒業した 西野七瀬さんの事ですが 往年の人気番組グータンヌーボ のパートツー的な番組 グータンヌーボヌーボでレギュラーMCを務めています。四人が順番に二人のゲストを迎えてのロケに出かけて その様子をスタジオで見て どうのこうのと語り合う番組です。昨日は ナーちゃんが MCとして三回目のロケに出かけたものが 放送されました。ナーちゃんは 元々人見知りが強くて 初対面の人どころか 長年ずっと一緒にいた乃木坂のメンバーとさえ 上手く話せない位の口下手ですから そもそもこんな番組のMCとして起用されるべきタレントではないように思っていました。完全にプロデューサーの人選ミスだと思っておりました。

    案の定 初めてMCを務めた回の放送では 普段から仲の良い 飯豊まりえちゃんに 頼り切ってしまって MCとしての自覚が全く感じられない言動でした。ナーちゃんが大好きな私から見ても 思わず首をひねってしまうような 内容でした。まあロケとしては まりえちゃんが 頑張って何とかトークは回っていましたし もう一人のゲストのまひるちゃんも いい味を出しながら喋ってくれていましたので 何とか最低限度番組としては成立していたように思えなくもありませんでした。

    放送後の視聴者の評価としても 何ともほんわかとした 和やかな雰囲気で良かった と言った好意的な意見もないではありませんでしたが 大半は ナーちゃんのやる気のなさ MCとしての自覚の足りなさを指摘する批判的な意見が 圧倒的に多かったように思います。大ファンである私から見ても あと何回かMCの順番が回ってきたら 番組を降ろされるのではないかと 思ってしまうぐらいの出来でした。

    二回目にMCを務めた回の放送は 二人のゲストが バリバリの現役ギャルと 大ベテランギャルがゲストでしたので あまりにナーちゃんとは水と油のような存在でした。なので ギャルが勝手に言いたい放題をしてくれたので ナーちゃんの不手際が あまり目立たないような出来栄えでした。ナーちゃんがギャルの悪影響を受けないかと心配してしまいましたが 殆ど接点がなかったみたいで 大丈夫だったみたいでした。

    そして三回目の放送が 昨日の深夜に放送されましたが まあゲストに恵まれた感がありましたが ナーチャンなりにすごく頑張っている様子が窺えました。ゲストは 朝日奈央さんと田中芽衣ちゃんでしたが 朝日さんは アイドリングと言うアイドルグループを卒業した 先輩的立場の人だし 芽衣ちゃんも 凄く素直で 頭の回転が早くて適切な発言をしていましたから 会話が程よく弾んでいたように見えました。

    正直 朝日さんは さんま御殿などに出演している時に 彼女なりに爪痕を残そうとして必死なのだから 致し方がないのかもしれませんが オジサンの発言に対して かなりきつめの突っ込み発言が目立っていましたから お爺さんの身としては これまではどうしても好感が持てませんでした。でも同世代の女の子同士の会話では 割と正直に本音を語っているのが感じられて 素直で優しい女の子のように思われて かなり評価が上がりました。

    芽衣ちゃんは モデルさんなので 普段どんな活動をしているのか 全然想像がつきませんが 上手に話をまとめて落ち着かせて 年齢は一番下でしたが トーク番組としていい具合に 出来上がったのは 彼女のおかげのように思えました。そしてナーちゃんが 話の隙間が出来るたびに 懸命に話題を提供しているのが とても準備している努力が 窺われて ナーちゃんファンとしては 感動してしまいました。

    ロケの様子を見ているスタジオでも 長谷川京子さん辺りから しっかりと準備してきたことを 盛んにお褒めの言葉を頂いていました。逆に これまでがMCとして全然働いていなかったからかもしれませんが 何とかナーちゃんがMCを務める放送も安心して見られそうです。但し 今回は かなりゲストに恵まれた結果とも言えますから プロデューサーにゲストのキャスティングに思いやりを期待したいとも感じました。

    まあ今回の放送で 何とか最低 ワンクール位は ナーちゃんが降ろされる心配が亡くなったように思いますので ホッとしました。