Dr.喜作のブログ

2015年12月 の記事一覧

  • 12月20日 乃木坂工事中で ラリン(永島聖羅)の卒業の意思を知りショックです

    乃木坂46のメンバーで私のお気に入りランキング不動の五位に入っている永島 聖羅の卒業の意思表示があったのには驚きましたし とっても残念です。私はラリンの体全体を使っているかのような精一杯の笑顔が大好きでした。ラリンがこれまでに選抜に入った回数は 多くはありません。でもアンダーメンバーの中心のなっての活躍はとても見事なものだと思っていました。今回の武道館でのアンダーライブが成功したのにはラリンの活躍もきっと大きかったはずです。

    私はラリンが どのような将来の目標を持っているのか 具体的には知りません。歌手を目指すのか 女優を志すのか おしゃべりが上手だからバラエティーでの活躍を夢見ているのか 見当もつきません。乃木坂から卒業するメンバーはこれまでにもそこそこの数がいましたが はっきり言ってこれ以上乃木坂にいても活躍できなさそうな子ばかりで 私のお気に入りのメンバーでは初めてです。

    ラリンは外見的には 非常に可愛らしい子が揃っている乃木坂では はっきり申し上げて全然目立つ存在ではありません。でも性格が優しくて思いやりがあって 責任感や探究心にも富んでいて とっても魅力的な女の子だと思います。ですから私の乃木坂お気に入りランキングで一位カズミン(高山)二位ナーちゃん(西野)三位マイマイ(深川)四位ミュミュ(若月)に続いて不動の第五位でした。一位から四位までのメンバーが選抜の常連ですから 実質アンダーメンバーでは最上位にランクインしていました。

    ラリンが乃木坂で一番仲の良かったメンバーが マイヤン(白石)だとおもいますが マイヤンはナーちゃんに次ぐ人気者ですし恐らく乃木坂で一番美しいのだろうと思いますが 私は全く好きではありません。正直に申し上げると嫌いなのかもしれません。ですからラリンがなぜマイヤンとそんなに仲良しなのか不思議に思えますが まあ相性がいいのでしょうからしょうがありません。

    何日か前のブログで ロッティー(川村)という乃木坂で一番歌がうまくてダンスも上手なメンバーの卒業を私は心配していました。ちなみにロッティーは私のお気に入りランキングで第八位に入っています。ロッティーもラリンも 地味な存在かもしれませんが 乃木坂アンダーを支える重要なポジションを担ってくれていたはずです。

    私がAKBに全く興味をなくしてしまったのは 主力メンバー(前田、大島、篠田、板野等)が卒業してしまって 花が無くなってしまったこともその理由かもしれません。最近 宮沢さえちゃんや高城あきちゃんと言った長年のお気に入りのメンバーも卒業を発表しましたから ますます興味が無くなってしまいました。乃木坂も結成してから四年以上が経過してきましたから そろそろ主力メンバーが卒業を考えだしても不思議ではないのかもしれません。

    ただAKBの卒業生で上手くソロ活動をスタートしているメンバーはほとんどいないようにおもいますので 乃木坂のメンバーは慎重に卒業する時期を考慮してほしいと思います。もしナーチャンが卒業を発表したら ショックで少なくともその日は病院をお休みすると思います。ラリンは例え乃木坂を卒業しても 大好きな女の子に変わりはないので 引き続き応援していこうと思いますが 消息が分からなくなってしまいそうで心配です。卒業の時期はまだ決めていないみたいなので なるべくのんびりと乃木坂に居座ってくれると嬉しいです。

  • 12月19日 うちのホームページがスマフォ対応になりました

    最初に起ち上げたホームページは 奥様がその当時のホームページビルダーを独力で勉強されて 立ち上げてくださいました。その時は 自分のホームページが持てたことが嬉しくて 毎月患者さんからの質問に答える形でのQ&Aのコーナーやそのコーナーを踏まえてのクイズのページ、勿論ブログもこまめに書いて かなり充実した内容になっていたと思っています。所が 何らかのアクシデントが発生してページの更新がうまく行き辛くなってから その事を切っ掛けに ほったらかしにしてしまいました。

    何年もほったらかしにしてしまいましたがやはり病院のPRの為にもホームページを充実させることの重要性は感じていました。二年半ぐらい前に 奥様にお願いして ホームページをリニューアルしてくださるようにお願いしました。起ち上げた時から数年が過ぎていましたから 当然ホームページピルダーもバージョンがかなり進んでいました。普通色んなプログラムはバージョンがアップすると 当然改善されるわけですから 使い易くなるように思うのですが コンピューター関係のソフトはバージョンがアップすると 勿論機能的には上がっているのでしょうが 素人には格段扱い辛いものになってしまいます。ホームページビルダーもご多分に漏れず かなり頭の切れるはずの奥様が真剣に立ち向かっても歯が立たないほどの扱い辛さになっていました。

    そこで自力でホームページをリニューアルすることを諦めた時に タイミングよくなのか結果的にはタイミング悪くなのかもしれませんでしたが ホームページ作成を生業とする会社からの電話がかかってきて 話を聞いて その会社に依頼することになりました。当時は現在ほどではありませんでしたが スマフォの普及が始まっていました。それまでの私の感覚では インターネットを利用してホームページを閲覧するのは 基本的にパソコンのある程度大きな画面で見るものだと思っていました。

    所が当時からいずれインターネットの利用頻度はスマフォが主体になるであろうと予測されていましたから ホームページをリニューアルする以上は 当然スマフォに対応した形のものを注文したつもりでした。ホームページが出来上がったという報告を受けて パソコンで閲覧してみると そこそこの見栄えで使い勝手も良さげなものに仕上がっていました。

    私たち夫婦は現在もガラケイを使っているぐらいなので二年前には当然スマフォで自分のホームページを閲覧することが出来なくて 報告に来たその会社の人間のスマフォで うちのホームページを見せてもらいました。確かにパソコンの大きな画面で見るのに比べて不自由ではありましたが スマフォで閲覧できましたので その形でスマフォに対応できたホームページを作ってもらった気持でいました。

    ところがそれからしばらくして 他のホームページ作成会社からの営業の電話によって うちのホームページは勿論スマフォで閲覧は出来ますが きっちりとしたスマフォ対応の形にはなっていないことを知らされました。私は不審に思って 作成を依頼した会社に電話しましたが その会社としてはスマフォで閲覧できるホームページを作るという注文しか受けていないし 担当した人間は会社を辞めてしまったので それ以上の事は分らないし 対応もできないと言う事で 突っ撥ねられました。

    最近 更にスマフォの普及率が上がって ホームページの閲覧する人の比率でパソコンを利用する人よりも スマフォを利用する人が圧倒的に凌駕しているというニュースをみて どうしたらよいのかと不安に思っていた時に 今回リニューアルをお願いした会社から電話がかかってきました。最初はこちらの都合などを凄く丁寧に訪ねてくれるのだけれど 決してそれが悪いことではないのだと分ってはいるつもりですが 丁寧過ぎてテンポが悪く感じたので「早く要件を言いなさい」と叱り飛ばしました。すると相手の対応がスピーディーに変わり要領よく要件を話し始めました。

    その対応の切り替えが気に入ったので 翌日来てもらって話を聞くことにしました。やって来てくれた女性が 結構若く見えたけれど 実はそこそこの年齢であり その会社の実質ナンバー2である偉いさんだという事が後から分りました。顔だちもかなりチャーミングで スタイルも細いのにバストはかなり豊であるという 男から見ると非常に魅力的な外見をされていました。

    勿論頭もかなり切れるみたいで要件を要領よく的確に説明していかれました。私は久しぶりにまじかでみた 見事なバストに気を取られていて かなりのセクハラ発言を連発しましたが こちらが気まずい思いをすることなく 巧みに退けられてしまいました。但し現在のスマフォ対応のホームページの必要性だけは 十分に伝わりましたので 結局はその見事なバストに指一本触れさせてもらえることもないうちに 契約させられていました。

    そして本日またその会社の方が スマホ対応のページが出来上がったことを確認してもらうために 来院されました。今回の方は前回の方よりもかなり年齢は若いみたいでしたし すらっと背が高くてそこそこのスタイルをされていましたが やはり私は前回来られた女性の方が 大人の女の色気があり より魅力を感じました。今回この会社に依頼したのは 単にきちんとした形のスマフォ対応にバージョンアップするだけではなくて 現在のホームページをいくらか改良したく思っていましたが そのお手伝いもしていただけると言う事にメリットを感じたからです。本日 具体的な変更してみたい形を説明しましたので 別に急ぐつもりはありませんが 徐々にホームページを現在の形から改良していこうと思っています。

    年末年始は どうしてもペットの緊急事態が発生しがちですから スマフォ対応のホームページがよりお困りの飼い主さんに上手にアピールできて 当院がお役に立てる機会が増えることを祈っています。

     

  • 12月18日 1779年の本日 平賀源内が獄中で餓死したのだそうです

    平賀源内と言えば 江戸時代中期にエレキテル(摩擦式静電気発生器)を発明した人物として有名だと思います。厳密にいうと オランダで発明されたこの機械が オランダ人によって日本に持ち込まれ 最初は将軍に献上されたものが 壊れてしまったので源内が構造などを研究して 複製を作成したのだそうです。

    このエレキテルによって 平賀源内の名前を凄く有名にしたのは間違いありませんが 後に不幸を招く結果につながったのかもしれません。ウィキペディアによると 源内の肩書は エレキテルを発明と言うか復元しましたから 一応発明家と言うのが一番オーソドックスであるのかもしれませんが本草学者(薬草や鉱物についての専門家)蘭学者、医者、戯作者(小説などの作家)浄瑠璃作者、俳人としても知られていたみたいです。ペンネームなどもいろいろとあったみたいで 源内以外にも幾つもの名前を使い分けていたみたいです。

    源内は獄死したわけですからそれなりの犯罪を晩年に起こしてしまいました。エレキテルを発明したとして それを見世物としてそれなりに収入や人気も高くなったみたいですが いつの間にか怪しい発明品で 人々を惑わした信用できない人物 と言う不名誉なレッテルが張られてしまいました。その為に 源内自身が人を信用できなくなってしまって 勘違いから殺人事件を起こしてしまったのです。

    獄中で 殺人を起こしたことを深く後悔したからなのか 勿論獄中ですから十分な食事が与えられていたとは限りませんが 食事をとることを自ら拒否して 餓死を遂げたのだそうです。僅か51歳の時の事です。源内自身はテレビドラマ化もされましたが その時には主人公ですから 明るくて茶目っ気のある魅力的な人物として描かれていましたが その最後は かなりつらくて悲惨なものだったみたいで 私も今回調べてみて その残念な死に方と若い年齢に かなり驚きました。

    後世に名を残したからといって 一概に幸せな人生とは言えないのかもしれません。私だってこれから死ぬまでに 大変な犯罪か事件でも起こして 不名誉な形で後世に名前を残す可能性はありますが 恐らくそんな風にでも世間を賑わすだけの活力は 既に私には残っていないと自覚していますので あくまでも平凡なまま人生の終わりを迎えるのだと思います。くれぐれも死ぬ間際になって やりたかったこと やり残したことが沢山あって 残念な気持ちで死にたくはないので 早く仕事を引退して 悔いの残らぬように楽しいことを沢山経験してから 死に際を迎えられれば とても幸福な人生だと思います。

  • 12月17日 師走の定番 ベートーベンの「第九」が1924年の本日初演されたのだそうです

    ベートーベンの「第9交響曲」の初演については 諸説ありますので どれが正しいのか全然わかりません。私は「今日は何の日カレンダー」にそう書いてあったので その内容をそのまま信用してみただけの事です。私は そこそこ合唱歴がありますから 勿論年末に「第九」のステージに上がった経験は何度かあります。正直 ベートーベンはあくまでオーケストラのための交響曲を書きましたから それにたまたま合唱がくっついただけの事で 歌う人の気持ちまでは考慮して作曲されてはいないように感じます。ソリストは別かもしれませんが 一合唱団員として歌っていてもあまり楽しくはありません。

    そもそも何故日本ではベートーベンの第九を演奏するのが恒例になったのでしょうか。海外では年末にはクリスマスがありますからヘンデルの「メサイア」辺りが定番になっているみたいです。バレンタインデーのチョコレートと一緒で 年末の第九は 日本だけの習慣の様です。その理由としても諸説ありますが 信憑性のありそうなのが 学徒出陣の為に出陣される学生さんが十二月に繰り上げ卒業されましたので その壮行音楽会が開かれたからと言う説です。当時同盟国であった ドイツを代表する作曲家であるベートーベンの 最後のシンフォニーと言う事で ふさわしいと選曲されたみたいで 戦後もその習慣が踏襲されたという話です。

    二つ目の説は クラシック音楽があまり定着しているとは言えない日本では どうしてもオーケストラの楽団員さんたちが経済的に苦しかったので お客さんを集めやすい人気のある曲を演奏して お正月の餅代を稼ごうと言う事が 定着したという説です。そういえばプロのオーケストラが演奏するのに合唱団はアマチュアと言うか素人の寄せ集めで演奏されることが多いので 以前から不思議に思っていましたが 確かにプロの合唱団なら ギャラを払わなければなりませんし チケットを自分たちで捌いてくれることなど全く期待できません。所が素人の合唱団なら プロのオーケストラに伴奏してもらえて歌えるので 有難がってくれて出演料など勿論請求もしません。合唱団員が 家族や友人にせっせとチケットを売って 自分たちの晴れ舞台をみてもらおうと頑張りますから 当然お客さんもたくさん入ってくれて 楽団員さんの懐に正月の餅代が転がり込む と言う仕組みになっているのも 何となく頷けます。

    私はピアノを長年習っていましたし 合唱歴もそこそこあります。岐阜大学に在学している時には 大学のオーケストラにちょっとだけ混ぜてもらって ファゴットと言う楽器を触らせてもらった経験もあります。CDも 最近は乃木坂関係のものしか購入していませんが ジャンルとしてはクラシック音楽が一番たくさん持っているように思います。平均的な日本人よりも クラシック音楽には近い人間だと思いますが それではオーケストラの演奏会に通っているか と問われればもう長いこと演奏会には出かけていません。

    私はもともと その場で消えてなくなってしまう生の演奏会よりも レコードなりCDなり形の残るものにお金をかけて 聴きたいときにそれを再生して楽しむ派なので 演奏会にはもともと縁遠い人間ですが それにしてもプロなオーケストラの楽団員さんの生活には全く貢献していない人間ですから 年末の第九で 楽団員さんが少しでも潤っていただければ 幸いだと考えます。

  • 12月16日 本日 松山千春さんが60歳になりました

    私は松山さんはもっと年上の方だと思っていましたが 案外年が近いので驚きました。松山さんは当たり前かもしれませんが 歌がお上手な歌手なので 凄く好きです。その曲の歌詞もメロディーも大好きなので 「旅立ち」「銀の雨」「季節の中で」等はよくカラオケに行った時に歌います。「銀の雨」と言う曲は 凄く有名な曲なので 今回松山さんのウィキペディアをみて「かざぐるま」のB面に入っていた曲であることに驚きました。

    B面と書いても CDしか御存知ないお若い方にはピンとこないのかもしれませんが レコードしかなかった時代には表面をA面、裏面をB面と表現したのです。要はカップリング曲の事です。レコードはCDに比べて 録音時間が限られていましたので シングルレコードの場合は表面すなわちA面に一曲、B面に一曲ずつしか入っていませんでした。

    B面に入っている曲でも たまに名曲があったりしてA面の曲よりも知られる存在になることがあります。勿論「かざぐるま」も名曲の一つだと思いますけれど「銀の雨」の方が広く知られている曲ではないでしょうか。最初はB面に入っていたけれどA面の曲よりも有名になってしまった曲としては 小林幸子の「おもいで酒」や千昌夫の「星影のワルツ」西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」等があるみたいです。恐らくお若い方には 歌手名も曲名もご存知ないのかもしれませんが いずれも昭和の名曲です。

    カラオケと言えば 私はプレミアムダムの トーナメント形式の採点法にはまっていることを何度も書きましたが 松山さんの曲では 最初の頃には「長い夜」が結構四万点台の高得点が出ましたので 良く歌っていました。ただこの曲はどんなに頑張っても四万点台が限界でした。現在は あまり有名な曲ではないのかもしれませんがドラマ「新撰組血風録」の主題歌になっていた「さちなら」だとほぼ確実に五万点台が出ますので よく歌っています。

    松山さんは歯に衣着せぬ発言で 毒舌と評されることがよくあるように思いますが 言い方がスパッとしていて鋭いので そのように受け取られる傾向があるだけだと思います。素直に思っていること、その場で感じたことを表現されているだけだと思いますから 別に悪気があっての発現ではなくて 正直な人柄が表れているだけのように 私には感じられて 余計に好感が持てます。

    但し かなり昔から頭をスキンヘッドにされていますが これはバスケットプレイヤーのマイケルジョーダンに憧れているから と言っているけれど 恐らくは頭が薄くなってきたので その事実が発覚することを恐れての 行動だと私は思っています。私が一番好きな囲碁棋士の武宮正樹さんも 同様の理由でスキンヘッドにされているのだと思いますが 男らしくて潔い態度だと思い 好感が持てます。私もかなり頭髪が乏しくなってきてはいますが さすがにスキンヘッドにする勇気はありません。

    松山さんの スキンヘッドにする潔い態度だけでも立派ですが 正直にそうする理由を表明された方がもっとカッコいいと思います。松山さんの口癖で「俺は若い頃にはビジュアル系で売っていたのだが」と言うのがありますが 現在のスキンヘッドも かなり厳つくはありますが それなりに十分魅力的だと思います。

    私のあこがれている松山さんも とうとう還暦を迎えてしまいましたが 私もあと二年したら嫌でも応でも その年になってしまいます。松山さんほどにカッコよくと言うのは 到底無理ですが あまり見苦しくない爺さんになれたらいいのに考えています。

  • 12月15日 1966年の本日 ディズニーさんが亡くなられました

    私はいい年をして恥ずかしいのですが ディズニーランドが大好きです。よく「夢の国」と表現されてしまいますが 私にとって現実に存在する場所としてはまさに夢の国であると感じています。ディズニーランドに匹敵する場所があるとしたら ナーちゃんの傍 しかありえません。

    このブログには何度も書きましたが 奥様がディズニーランドの大ファンなので お付き合いを始めてから 生まれて初めてディズニーランドに連れていかれました。最初は勿論 あまり気乗りはしていませんでしたが 一度経験してから 私もディズニーの大ファンになってしまいました。毎年二月と秋に旅行に出かけていますが そのおよそ半分はディズニーランドへの旅行になっているみたいです。

    今年も秋の旅行でディズニーランドに出かけるはずでしたが 常連の患者さんから二か月以上犬を二匹預かってほしいとの依頼があり 旅行のスケジュールとかち合ってしまったために 泣く泣くキャンセルしました。来年の二月には必ずディズニーランドに出かけようと今から楽しみにしています。

    例年二月は 確定申告の準備が出来上がって 一番病院が暇な時期でありますから 寒い季節なので基本的には沖縄などの暖かい地方へ旅行していました。所がディズニーランドに出かけるようになってからは 一番寒くて一番屋外での催し物にとって不向きな二月なら 一番空いているはずなので ディズニーランドに出かけるようになりました。私はゴールデンウィークや夏休みなどの 本格的に混み合っているディズニーランドには出かけたことが無いので 知らないだけなのかもしれませんが 二月でもかなり混み合っているように思います。人気のアトラクションなら二時間待ちは当たり前です。

    このブログでは何度も何度も書いていますがあと数年したら 病院の仕事をリタイアして南の島へ移住するつもりです。結構具体的なプランまで練っているつもりですが 実はもう一つ全然別のプランがあります。浦安に家を購入して ディズニーランドに入り浸ろうという計画です。浦安に住んでいる人はディズニーランドの年間パスを持っている方が多いと聞いています。ディズニーランドがあるから浦安にお住まいの方も少なくないのかもしれません。

    南の島で寒さとは永遠に無縁の生活を送るのがいいのか 浦安でディズニーランドに入り浸る生活の方がより魅力的なのか まだ最終決定を下せないでいます。暖かいだけの南の島に生活すると 早くにぼけてしまわないかと不安になることがあります。ディズニーランドもある程度入り浸れば さすがに飽きてくるのではないかと言う心配もあります。適切なアドバイスのできる方は どうぞメールで迷える私をお導き下さい。

     

  • 12月14日 本日は赤穂浪士の討ち入りの日です

    日本人はみな忠臣蔵が大好きでしたから 以前はこの日の前後に 赤穂浪士の討ち入りを題材とした映画やドラマが必ず放送されていたように思いますが 今年はどうだったのでしょうか。あまりマスコミにも取り上げられていなかったように思いますけれど 私の関心が薄いからそう感じたのでしょうか。

    大名である浅野家と 旗本である吉良家の 個人的ないさかいから 刃傷沙汰事件が起こり 浅野家のお殿様が腹を切らされお家を断絶されたので そこそこ時間が経ってからその家臣が 仇敵である吉良さんを討ち取った と言うのが事の顛末だと思います。いさかいの原因とは 浅野家から吉良さんへの付け届けが不十分だったとか 浅野家と吉良家が製塩業を営んでいて 赤穂産の塩の方が上質であったために その製塩法の秘訣を吉良さんが尋ねたのに浅野さんが突っぱねた事 等と言われています。

    そもそも浅野家が吉良さんに指導を仰いたお役目を務めるのは 全くの初めての事ではなくて二回目の事だったそうです。指導を仰ぐ立場としては 指導して頂く方に対して敬意を示すために 付け届けをするのは あまり褒められた習慣ではないのかもしれませんが ある意味日本では常識ですから 付け届けの相場に見合った対応をすべきだったのに 出来ていなかったとしたらそれは浅野家に落ち度のあることではないでしょうか。

    製塩法の秘訣を教えなかった為に意地悪をされた と言う話は 浅野さんが人情沙汰を起こしたことに対する 援護射撃みたいなもので 全くの作り話である と言うのが現在の定説なのだそうです。客観的にその時の状況を考えてみると 私には どうしても浅野さんの方に非が有り 吉良さんは一方的な被害者であるかのように思えます。

    武士の喧嘩は両成敗が御常道であるのに 浅野さんだけが切腹を命じられ お家を断絶されてしまったのに対して 吉良さんの方は何のお咎めも無しで 一方的であり 片手落ちの誤った判断であるから その判断を訂正するために 浅野さんの家臣が吉良さんにかたき討ちをしたのは 当然である 亡き主君に対する立派な忠誠心である としてもてはやされる様になったのだそうです。

    私は一般的な評価に対して どうしても穿った見方 と言うか物事を斜めからみようとする傾向がありますから 異なった見解を持ってしまいます。浅野さんが ちゃんとした理由のある武士同士の喧嘩であるというのなら それなりの口上を述べて 堂々と切りかかったのであれば 説得力もありますが 刀を抜くことさえ許されていない場所で いきなり切りかかったようですから 吉良さんが度肝を抜かれて 逃げ惑うのも致し方のない対応のように思いますし この事件を武士同士の正々堂々とした喧嘩 と定義づけるのには どうしても無理があるように思います。浅野さんが一方的な加害者でありますから 一方的な処分を受けるのは 当然でありなんら間違ったご政道ではなかったように思います。

    大石さんたちのやったことは 一旦決着のついた事件を 一年以上も過ぎてから 徒党を組んで 夜中に吉良さんの家に押し入り 吉良さんを殺害したわけで この行為自体は 強盗殺人事件と表現して間違いのない出来事だと思います。この行為は絶対に武士の喧嘩 と言う定義は当てはまらないと思います。もし大石さんたちが 敵を討ちたいのなら 昼間に堂々と口上を述べてから 行為に及ぶべきだったのではないでしょうか。

    浅野さんが起こした刃傷事件も 大石さんが起こした討ち入り事件も どちらも私の目から見ればそれこそ独善的てあって 一方的な解釈に基づいているものであって 吉良さんがひたすら被害者の立場にいた事件のように思えてなりません。日本人は苦難を耐え忍んで 亡き主君の仇を討った美談としてこの事件をもてはやそうとしたがりますが 冷静に起こった事柄だけを考えてみると 一般的な評価が正しいとは私にはとても思えない出来事でした。

  • 12月13日 1945年の本日 藤純子さんがお生まれになられました

    現在は名字の表記が異なりますが 私にとってはやはりこの文字の方がしっくりときます。私は子供の頃から好きな芸能人と言えば 五十嵐淳子さんのような清純そのものの女の子でしたが 実は藤純子さんにも 相当に憧れていました。勿論年齢が私よりもひと回り年上の方ですから 遠い存在として憧れていただけでしたが たまたまテレビで放送していた高倉健さんの任侠映画で 奥さん役を演じておられたのを見て 大好きになってしまいました。

    今のように女優さんに興味がわけばインターネットで検索して 簡単に出演作を知ることも 鑑賞することもできるような時代ではありませんでしたから 取り敢えず名前を覚えていて出演作が放送されるのを楽しみに待つしかありませんでした。確か年末の深夜に「緋牡丹博徒」シリーズを続けて放送されたことがありましたから 今なら当然録画して何度も繰り返し楽しむのですが 勿論ビデオも普及していない時代ですから テレビの前にかじりついて 一瞬も見逃さないように 一生懸命に見ていた覚えがあります。

    「緋牡丹博徒」シリーズをみたら 誰でもが藤さんの大ファンになることは間違いないように今でも思っています。当時任侠映画のスターと言えば 鶴田浩二さん 高倉健さんが双璧だったように思いますが お二人とも溜息が出るぐらいにカッコよかったと思います。藤さんは同じくらいカッコよくて 更に美しい女性なのですから 男なら好きにならないのは 間違っていると当時は固く信じていました。

    ただ残念だったのは 藤さんが後にワイドショーの司会をしてしまったことです。そんなことをしたら普通のおばちゃんになってしまうやんか。鶴田さん、高倉さんもいずれ任侠映画を卒業されましたが 俳優として別のジャンルの映画で渋い演技をされていましたから 藤さんにもやはりカッコいい女優さんだけを続けていてほしかったと今でも思っています。

    たまにテレビドラマに出演されて 年齢から当然ですがお婆ちゃん役を演じておられます。緋牡丹博徒の矢野竜子のファンとしては 出来たら年を重ねられたお姿は あまりお見かけしたくありません。女優としての仕事を受けるな と言ってしまったら ファンの我儘になるのかもしれませんが やはり若い頃のあまりにカッコよかったイメージが崩れてしまいますから そこらへんは昔のファンの気持ちを考えて頂けると嬉しいです。

  • 12月12日 1911年の本日 東京の京橋に日本で最初の喫茶店が出来たのだそうです

    喫茶店には最近あまり出かけていません。何年か前までは 近所の喫茶店で お気に入りの女の子がいたので その子の顔見たさにしょっちゅう通っていた時期がありました。所がその女の子の何気ないのかもしれない一言が気に入らなくて 嫌いになってしまってからは 全くいかなくなってしまい それ以来喫茶店には殆ど足を運んでいないように思います。

    普通高校生まではあまり喫茶店には縁のない生活をしているように思います。奥様は高校の近所にあるロッテリアが溜まり場の様になっていたので しょっちゅう通っていたそうですが 勿論割引のきくクーポン券を持って行ってコーヒー一杯で長時間おしゃべりをしていたのだそうです。まあロッテリアは喫茶店の部類には入らないと思いますけれど。

    大学時代 一つ目の立命館大学に通っていたころにはガロの「学生街の喫茶店」とかあべ静江の「コーヒーショップで」等のヒット曲もありましたから 大学生と言えば喫茶店でたむろしているようなイメージがありました。クラスの友人とは授業の時にしか顔を合わせていませんでしたが サークル活動として混声合唱団に入りましたので ちょくちょく先輩に連れられて喫茶店には出かけました。

    二三歳年上の先輩が凄く大人に見えて 人生観や将来の仕事についてなど いろいろと含蓄のある話を聞かせてもらって楽しいひと時を過ごしたことを覚えています。但し喫茶店に出かけると そこそこの出費がかさんでしまいます。貧乏学生だった私は 何しろ昼ごはんに卵ご飯定食(中ライスと生卵と味噌汁)で100円で済ませていましたから 喫茶店には何かしら理由をつけて ついていかないようにしました。サークルの部室でお湯を沸かせましたから インスタントのコーヒーなら只で飲めるからです。

    そんな私が 大学の近所にあるレストランで「南国」と言うお店に通いつめるようになってしまいました。若い男が お金もないのに最低でも五百円はかかるレストランに通い詰めた理由は明白で そこのウェイトレスさん(糸ちゃん)の事を大好きになってしまったからです。いつも頼むのが 魚フライとコロッケの定食550円でした。他にも美味しそうなメニューはありましたが私は糸ちゃんにいかにも常連のようにふるまいたかったので「いつもの奴お願い」と注文していました。

    大学の生協でご飯を食べれば300円も出せばお腹いっぱいになれるのに 貧乏学生が他の出費を切り詰めて 「南国」に通いました。それだけ大好きな女の子が出来たのですから 普通は告白することを考えるのかもしれませんが 私は糸ちゃんをあくまでも憧れの存在としてとらえていましたから 実際にアプローチすることなど微塵も考えてはいませんでした。

    そんなことで一つ目の大学時代はあまり喫茶店での思い出はありません。卒業して塩野義製薬に勤めた時が 一番喫茶店に通っていた時期かもしれません。私は金沢分室に勤務して 金沢大学を担当していましたから 同じく金沢大学を担当する先輩が四人いましたので その方たちとコンタクトを取るのに 溜まり場の様になっている喫茶店があり そこにはほとんど毎日通っていました。

    塩野義製薬のお給料はかなり多いので 一年目から毎日喫茶店に通っても別に不自由はしませんでしたが 只根っからの貧乏性の私としては アイスコーヒー一杯350円取られるのに 自動販売機で缶コーヒーを買えば100円で済みましたから 勿体無いなあとはいつも思っていました。ただその喫茶店で 先輩から業務連絡を受け取ったり 雑用を言いつかって昼からする行動が決まりましたので 仕方なしに通っていました。

    塩野義製薬を辞めて 岐阜大学に入り直しましたが 愛知県とその周辺の喫茶店には独特の風習があります。モーニングサービスが凄いのです。関西では朝の時間帯モーニングサービスを頼むと コーヒーの価格に+アルファがかかって トーストとゆで卵ぐらいが付きます。所が岐阜の喫茶店では 朝の時間帯にコーヒーを注文したら そのままの料金で必ずモーニングサービスがついてきます。トーストに卵、ちょっとしたサラダ位なら驚きませんが お店によっては味噌汁とおにぎり 玉子焼きに焼き鮭、冬の寒い時期になるとアツアツのオデンが出てきてびっくりしたこともあります。

    お店によってオリジナリティーがありますから 初めての喫茶店に朝の時間に入る時はどんなサービスがつくのか楽しみにしてしまいます。そんな風にモーニングサービスがすごく充実していますので 岐阜は勿論名古屋もだと思いますが 日曜日の朝ごはんは 近所の喫茶店でモーニングを食べている家族連れが多いのには最初途惑いました。岐阜大学に通っていたころは 何しろ授業料や教科書代 全ての生活費をバイトで稼いでいましたから 立命館時代よりももっと貧乏な生活をしていましたが モーニングが食べたくて近所の喫茶店でコーヒーチケットを購入したりしていました。

    最近は喫茶店とは ご無沙汰していましたが プロ野球のドラフト会議の当日と翌日はスポーツ新聞をたくさん読みたかったので久し振りに出かけました。何かそんな理由でもないと 喫茶店に通う事はもうあまりないのかもしれません。どうしても貧乏性の私は 今ではコーヒーカップに乗せて入れるドリップ式のレギュラーコーヒーでもインスタントのコーヒーよりはずっと美味しくて お値段も喫茶店の十分の一ぐらいで済みますから わざわざ喫茶店まで出かけることはますますなくなってしまうように思います。

  • 12月11日 ワタミの社員の過労自殺について思う事

    私は不勉強で八年も前にこんな事件が起こっていたことについて全然知りませんでした。この事件について色んな方がいろんな立場からコメントをされていますが 私にはもうひとつピンとこない点が少なくありません。

    そもそも自殺された女性は26歳ですから 子供ではありません。これが高校を出たての十代の女の子の話なら だいぶ次元が異なってくるのではないでしょうか。そもそも26歳で就職するのであれば 就職先について十分に労働環境や労働条件に付いて 下調べをしておくべきだったのではないでしょうか。

    社長さんの渡辺さんは きれいごとや理想論を並べて マスコミでもてはやされている有名人ですが そんなうわべの情報だけをうのみにして 表面的な高収入に飛びついてしまったことが そもそもの間違いの始まりだったのではないかと思います。実際に働いている人から 就職する前に生の声 と言うか生きた情報を入手していれば よもや自殺事件にまではなっていなかったように思えます。そこここにある居酒屋さんですから学校の先輩や知り合いなどのつてが無かったとしても お客さんとしてお店に出かけていって 働いている人たちに話しかければ そのお店で働くことについての 一番確実で正確な情報が入手できたはずです。

    そのような事前の下調べをせずに就職してしまい 常識はずれの勤務条件に追い込まれて 追い詰められて自殺してしまったのですから 私は厳しい表現になってしまいますが 自殺したご本人にもそれなりに責任があるのではないかと思ってしまいます。過酷すぎる労働条件で 労災と認定されてしまいましたから 会社側にも勿論多大なる責任があるのは間違いないのでしょうし渡辺さんの 心から反省している気持ちがうかがえないコメントが反感を買ってしまって ワタミが評判を落としているのは当然かもしれません。

    とはいえ 自殺された女性は子供ではないのですから あまりに過酷な労働条件については 出るところに出てきちんと改善を求めればよかったと思いますし 肉体的そして精神的に自殺を考えるところまで 追い込まれてしまったのなら まさか監禁状態に置かれていたわけではないのでしょうから 自分を何よりも大切に思ってくれるご両親のおられる実家に 取り敢えず避難すれば良かったのではないでしょうか。

    自分の辛い現実を会社に訴えても まともに取り合ってもらえないのなら 自分の事を大切に考えてくれる人たちをなぜ頼らなかったのでしょう。結果的にその労働条件は労災が認定されるほどに過酷であったことは間違いありませんから 26歳では出るところに出て 客観的に己の労働条件が是か非かを判断してもらうことまで 考えが及ばなかったとしても致し方の無い事かもしれませんが せめてご両親に自分の置かれている現状を訴えていれば 恐らく労働条件を改善していく方法は見つかったように思います。

    私だって人生に絶望して 自殺を真剣に考えたことは勿論あります。でも両親を含めて私の周囲の人間で 私の死を悲しむ人が そんなに多くはないけれどいてくれることを考えたら 実行できませんでした。26歳と言えば まだ人生のほんの入り口を過ぎた所あたりだと思いますから 返す返すも勿体ないことだと思います。無責任に自分の仕事を全部投げ出して ご両親の元へ逃げ帰っていれば こんな残念な結末は迎えなかったはずです。一旦総理大臣と言う椅子に座りながら 無責任にもその仕事を放り出しておいて 素知らぬ顔で返り咲いてきて やれアベノミクスだ 等といけシャーシャーと総理の椅子にふんぞり返って 座り続けている人間もいるのですから。

    現実に自殺と言う悲劇的な結末を自分で選択されてしまったのですから 人の命よりも重いものはありませんので その事実を会社側ももっと厳粛に受け止めて 精一杯のお詫びの気持ちを素直に表現すれば ワタミという会社のイメージをここまで損なってしまわなくても済んだのかもしれません。結果的に会社の落ち度を認めて 莫大な和解金を払うのであれば どうしてもっと早く周囲の人間が納得のいくような解決への道を歩めなかったのか 不思議に思えます。

    私はワタミと言う会社の無茶苦茶な労働条件が引き起こした悲劇であることは間違いないように思います。結局は利益を出すためには 働く人の数を減らして人件費を抑えてしまったために 今回の被害者の方のように なまじっか責任感があるので 自分自身を追い詰めてしまって 究極の選択をしてしまったのですから 企業として大いに反省するべきだと思います。現在はワタミで働いている方の労働条件は改善されているのでしょうか。自殺されてしまった方の命は どうしたって戻ってきませんから その方の死を無駄にはしないで まともな労働条件の会社に生まれ変わっていてほしいです。

    恐らくワタミがこんな過酷な労働条件で仕事をこなしていたのですから 他の外食産業は似たり寄ったりの状況なのではないでしょうか。失業率も高い日本ですから 働き手は探せばすぐに補充できると思いますから 日本からこんな過酷な労働条件による残念な自殺が今後二度と起こらないことを 心から祈ります。