Dr.喜作のブログ

2019年10月 の記事一覧

  • 10月10日 二回目の俳句同好会に参加してまいりました

    先月初めて 枚方市で月に一回開かれている 俳句同好会に参加してきました。初回は 電話番号が掲載されている世話役の方に 前日の夜に見学希望であることを電話で伝えました。その時に世話役の方から どうせなら急いでこれから俳句を五つ作って 句会に出してもらえれば ほかのメンバーと同じように句会に参加できる とのことでしたので慌てて五つ俳句を作って参加してみました。そもそも句会というのが どのようなものなんかも全然知りませんでした。
    まあローカルルールなのかもしれませんが ここの俳句同好会では 取り敢えず無記名で短冊というか 縦長の紙に自分の作った句を書いて 五枚提出します。世話役の人が その短冊を取りまとめて 各人に五枚ずつ配ります。受け取った短冊に書いてある俳句を 先に配布されている 転記用紙に書き写して それを世話役の人に提出します。わざわざ転記するのは 筆跡によって 誰が作った俳句か分からなくするためだと思います。転記された用紙を人数分コピーして 各人に全員の書き直された俳句を受け取り その日提出された全ての俳句に目を通します。すべての俳句のうち自部の作った俳句以外から 一番気に入った俳句を選んでこれまた先に配布されている選出用紙に記入して二重丸を付けます。二番目と三番目に気に入った俳句を記入して丸をつけます。四番目と五番目に気に入った俳句は無印のまま記入して また世話役の人に提出します。
    全員が選出した俳句を記入した用紙を提出し終わったら 誰がどの俳句を選んだのか発表されます。全員の俳句が書かれた紙に 誰がどの句を選んだのか書き込んでいきます。自分が選んだ句をほかの人も選んでくれていると ちょっとほっとします。自分だけが選んでいると 自分はまだよい俳句がどんなものか全然わかっていなくて 評価がやっぱりおかしいのかと 不安になってしまいます。先月は ビギナーズラックがあったのか 私の感覚がメンバーには 新鮮だったからかもしれませんが 五つの提出した句から なんと三つも選ばれました。
    今回は 俳句を作る時間がひと月ありましたので 十五句ほどできました。提出できるのは 五つだけですから 選択しなければなりませんから 大変でした。何しろ どんな俳句が出来がいいのか悪いのか サッパリわかりません。先月も 私としては一番の自信作が 誰にも選らばれなかったのです。勿論 参加したメンバーに選ばれた句が 客観的にみて出来がいい句であるとは限らないのかもしれません。でも私よりは ずっとたくさんの俳句を作ってこられたわけだし この形式の句会を繰り返し経験されているのですから 私より数段俳句の知識と経験が豊富なのですから その人たちの琴線に触れられて 選ばれれば素直に喜んでいいのだと思います。
    今月は 五つ提出したうち二つを選んでいただけました。私のような 全くの初心者の句を選んでもらえたのですから 有難いことです。今回は 親切な先輩が隣に座っていただけましたので この同好会のご近所さんのグループの存在や活動日と集合場所などを教えていただきました。正直な所 月に一回だけの活動では物足りなく感じていましたので ほかのグループの集まりにも参加してみようと思います。今は 一日のかなりの時間俳句のことを考えて過ごしています。俳句作りは 予想していた以上に 楽しい作業になってきました。始めたばかりですから 拙いのは致し方がないと思いますが 努力して俳句作りの上達を目指していこうと思います。

  • 10月9日 本日は 語呂合わせで塾の日なのだそうです 

    私は 自分が生徒として塾に通った経験はありません。中三の夏休みに 一応高校受験を控えていましたので 友人のかなりのものが 二週間ほどの塾が主催する夏期講習みたいなものに通うという話だったので うっかり自宅で親にその話をしてしまいました。うちの両親は 私を信頼していたのかどうかは知りませんでしたが そんなにおしりをたたかれなくても そこそこの成績は収めておりましたので 普段はそちら方面のことで口出しは全然しませんでしたが 時期が時期だったからかもしれませんが 珍しく両親が その気になってしまったので いくつかあった塾の夏期講習から 当時私が気になっていた女の子が通うらしいという情報だけを信頼して 一つの講習会を選び通ってみました。確か電車に結構乗って出かける名前も忘れてしまった高校の教室で授業を二週間受けて 最終日に試験があり 後日試験の成績をもとに親とともに面談を受けたのが 私の唯一の塾体験かもしれません。
    費用がいくらぐらいかかったのか まだ子供でしたから 全然知りませんでしたが まあ全く面識のない中学生たちと 同じ教室で これまた全然知らない先生からの授業を受けたのは それなりに刺激があって面白かったです。そこそこ分厚いテキストを使っていましたが 私は当時からけち臭い人間だったので そんなに安くはないであろう授業料を払って参加している以上は テキストに書いてあることは 出来るだけ隅々まで 吸収してやろうと それなりに意欲的に予習をして 授業も普段の学校の授業よりは気合を入れて臨み しっかりと復習までしましたので そこそこ学力は伸びたのではないかと思っています。
    その短期講座は 気になる女の子が通っているはずなので 選んだつもりでしたが その情報がガセネタだったみたいで お目当ての女のことは まったくすれ違うこともできませんでした。まあ私が受けた教室にも半分ぐらいは女の子がいて その中にもかなりかわいらしい子が一人いましたので それなりに楽しい毎日だったように記憶しています。勿論 根性なしの私ですから 名前は授業中に呼ばれますから 名字は何とかわかりましたが 勿論その子に話しかけられるわけもなくて どこの中学校の子なのかも全然わかりませんでした。
    最初は 中三の夏休みが 高校受験のための準備として重要であることは 勿論自覚していましたので 自力で問題集などを用意して 近所のあまり人がいない静かな図書館にこもって さみしく受験勉強に打ち込もうと計画していました。どうしても家の自分の部屋にいるのでは 集中力が持続しないで すぐにベッドに寝っ転がってしまいそうだったからです。自分で弁当まで作って朝から夕方まで図書館にこもるつもりでしたから それなりに学力は向上したでしょうが やはり見知らぬ同学年の中学生たちから 直接刺激を受けられましたので 塾の講習会に参加してよかっただろうと思っています。特に腰抜け野郎と私は 本番の入学試験も 見知らぬ教室で 見知らぬ人たちに交じって 取り組まねばなりませんから かなり緊張してしまうはずでしたから その面での予行演習にもなったのかもしれません。
    私が 塾の生徒としての経験は 中三の夏休みの二週間しかありません。同じ塾から 冬休みにも冬期講習会をするので とのお誘いがありましたが 私は自分なりに自分の弱点を明確にできていましたので 冬休みの間に自分で計画を立てて 弱点の克服に取り組みたかったので あえて一人で近所の図書館にこもりました。ただし その図書館は暖房が不十分だったので かなり寒かったのをぶつぶつ文句を言っていたのをよく覚えています。
    一つ目の大学時代は 家庭教師として数人の中学生に勉強を教えましたが 塾の先生の経験はありませんでした。二つ目の大学に通うときには 授業料から生活費まで全て自分でアルバイトして賄うつもりでしたので 安定した高収入を得るために 塾の講師として頑張りました。最初に努めたのは 個人が経営している小さな教室というか普通の民家を 五か所ぐらい借りてやっている塾でした。夕方の六時から十時まで 小6からまで中三 四つの学年に五教科を教えていました。小学校の六年生は 英語の授業を学校では受けていませんでしたが 予習的に中一の教材の半分のペースで教えていました。
    小学生は 当然まだガキでしたから 扱いが簡単でしたが 中三のそれも女の子になると 当然おっぱいがかなり膨らんでいる子もいて 気持ちの上では一人前の女ですから あしらうのが難しかったです。その塾では 岐阜市内とはいえ かなり田舎の地域の子たちでしたから それなりに純情だったように思いますが 女の子は一度機嫌を損ねてしまうと ほとんど無視されてしまったりして 苦労しました。逆に 真剣に授業に集中してくれる女の子には どうしても優しくしてしまうので ほかの女の子から 贔屓しているなどと親に報告されて 当然塾の経営者にも連絡が入り 注意されたりしました。授業を自分の意志で 無視して 聞いていない女の子をほったらかしにして 懸命に聞いてくれるこの質問に丁寧に答えるのは 致し方のないことではないかと 自分の意見を述べましたが 小さな塾ですから 生徒が一人抜けるのは大きかったみたいで 結局その経営者とは喧嘩別れをして すぐにやめてしまいました。
    そこで 小さな塾のほうが小回りが利くだろうし 自分なりのやり方が実践できるのではないかと考えて あえて小さめの塾の講師を目指しましたが 個々の人間関係が面倒そうだったので 今度は 岐阜駅のすぐ近所に本拠を構える 岐阜市でも一二を争うような大きな塾の講師になりました。大きな塾では 講師も担当科目が決められているのだそうです。中学生相手ですから 英語や数学が 一番教えるのが簡単ですし 生徒からも人気がありそうでしたが 当然それらの科目は やりたい人間が多いでしょうから 競争も激しいと思いましたので あえて何を教えるのか明確でない分 やりたい人が少ないであろうと予想して 国語を担当科目として選びました。
    大きな塾ですから 生徒の質もピンキリで 上は私よりも優秀になるであろう生徒も含まれているでしょうし 下はクラスでも落ちこぼれているような子もいました。優秀な生徒は かなり高度な質問をぶつけてくることがありましたので 私もそれなりに文法や難しい言葉の使い方については 勉強しなおして 授業に臨みました。平日は 大学から自転車で二十分以上かかりましたが 授業に間に合うように駆けつけて 一コマ50分の授業を三~四コマこなしました。
    授業一コマが2000円の約束でしたので 夕方から入って 一日6~8000円稼いでおりました。この塾では 生徒とは 週に二回 国語の授業の時にだけ顔を合わせますので 個人的な関係がほとんど生じませんでしたので スムーズに仕事ができました。国語の講師は数人おり 一番上の立場のおばちゃんは 国語の教師崩れのまじめで面白みのない授業をするので 生徒からあまり人気がありませんでした。私は大阪から来たおもろいおっさんキャラで 愛嬌を振りまきながら そこそこ実のある内容の授業をしていましたので 生徒からはそこそこ人気があったように自惚れております。
    夏期講習や冬期講習は 塾の稼ぎ時の大きなイベントでしたから 私も大学が休み中の時期でしたので 朝から晩まで授業に入り がっぽりと稼がせてもらいました。講習は午前の部と午後の部に分かれていて 各五コマずつありましたから 私は合わせて十コマ すべてに入りました。同じテキストで同じ内容を講義するのですから 一度準備すれば それを繰り返すだけなので 移動も全然ないし 私としては非常に効率が良くて 助かりました。一コマが講習の場合2500円でしたから 一日で二万五千円も稼げたので嬉しかったです。ただ 一日二十コマも授業に入るのは私だけで ほかの講師は一日に五コマが限界だ などとたるんだことを言っていたのだそうです。
    私は 獣医学科の学生でしたから 四年生までは かなりバイトにも精を出せますが 五~六年生になると 研究が忙しくて 夏休みもろくにバイトができないと聞いていましたので 四年間で六年分の授業料と生活費を稼ぎださねばなりませんでしたから 必死だったので ほかの講師とは 覚悟が違ったのだと思います。それに同じ授業を十回も繰り返すわけですから 例えば授業の最初の雰囲気をつかむためのギャグなんかも 幾つか用意しておき 受けの良かったギャグをその後の授業では使いました。その授業の一番理解してもらいたい内容の説明に時間をかけすぎると ほかの内容が駆け足で終わってしまったりするので 授業のペース配分なども 最初に二三回の授業である程度把握するための準備運動のようなものだったかもしれません。
    確かに 同じ授業を十回も繰り返しますし 中学生とはいえ 三十人近い人間と 真剣勝負を繰り返すのですから 講習の間は 二週間ほどでしたが さすがに体力の限界を感じながら 頑張りました。でも真剣に授業を聞いてくれる生徒がほとんどだったので 優秀な生徒がそろったクラスの授業も 落ちこぼればかりが集まったクラスの授業では どうしてもおもろい話を連発してやらないと 集中力を失くすので それなりに気を使ってしんどかったけれど どちらのクラスの授業も 楽しかったと思います。
    そのようにして 私は岐阜大学の四年生まで 塾の講師として精いっぱいアルバイトさせてもらえたので 何とか親からの援助なしで 自力で無事に卒業できましたし 何とか国家試験にも合格して獣医師になることができました。私が獣医さんになれたのは 塾のおかげといえるのかもしれません。私が働いていたころから 数十年が経過しておりますが 今でも中学生相手の塾は 同じように存在しているのでしょうか。あの頃の楽しくて かつ充実感のあった時代が懐かしくなりましたので 久しぶりにまた教壇に立ってみたい気分になりましたが 60歳を過ぎていますので 塾講師として雇ってくれるところはないのでしょうね。残念。

  • 10月7日 1986年の本日 石坂洋二郎さんがお亡くなりになられました 

    今のお若い方には そのお名前を耳にしても あまりピンと来られる方は殆どいらっしゃらないだろうと思いますが 私が 高校時代に一番はまった小説の作家さんといえると思います。一番最初に 石坂さんの作品と接したのは テレビドラマ化された「光る海」という作品です。沖雅也さんや 島田陽子さん 中野良子さんなど 当時とても人気と実力を兼ね備えた俳優さん 女優さんが登場されていましたので 原作は全然知りませんでしたが 放送されていたテレビドラマを毎週すごく楽しみにしておりました。
    私が高校生の時だったと思いますが 本屋さんでたまたまドラマの原作の小説の文庫本を見つけましたので 購入して読んでみました。家に帰って読み始めてみると そのあまりの面白さに600ページほどもあるかなり分厚い文庫本でしたが 土曜日の昼過ぎに読み始めて 日曜日の朝方までに読み切ってしまいました。石坂さんの小説を 初めて読んでみましたが すごく感動してしまいました。高校時代 最初にはまったのは 友人に勧められて読み始めた 五木寛之さんでその作品ばかり読み漁っていましたが この時を境にして 石坂さんの小説を片っ端から読み進めていきました。
    石坂さんの代表作である「若い人」は 結構人間の気持ちの暗い部分に焦点を合わせているように感じて あまり好きにはなりませんでした。映画では 吉永小百合さんが出演していましたが 私の小説を読んでイメージしていた女性とはかけ離れていて 映画を見てもやはり面白いとは 思えませんでした。石坂さんの作品は 結構明るくて楽しい描写がふんだんに盛り込まれていますが 必ず人間の奥深いところにあるドロドロとした部分を描かれています。私がそれまで読んでいた小説には あまりそういう人間の裏の部分を描かれているものがなかったように感じて より作品に深みというか重みを新鮮に感じて とても好きになりました。ですから 石坂さんの作品では 割と明るく楽しい場面の多い作品のほうがを好きになり 気に入った小説は 何度も繰り返し読みなおしました。
    高校時代 今はすごく後悔していますが 部活動をしておりませんでしたので 割と時間に余裕がありましたから 勿論そこそこ勉強はしておりましたが 好きな小説をせっせと読みふける文学少年でした。土曜日の昼に本屋さんに出かけて 読みたい小説の文庫本を購入して 土日で読み切るのが 習慣になっていました。高校時代の小遣いは ほとんどがビートルズのレコードと五木さんや石坂さんの小説の文庫本に代わりました。今思えば大好きなラグビー部にでも入部して 頑張っておけば良かったと思いますが まあレコードと小説三昧の高校時代も それほど悪くはなかったのかもしれません。
    気に入って 繰り返し読んだ作品は「暁の合唱」「陽のあたる坂道」「山のかなたに」「丘は花ざかり」「山と川のある町」「河のほとりで」「あじさいの歌」などあげたらきりがありません。そして石坂さんの小説は かなりたくさんが 石原裕次郎さん主演で 映画化されています。石原さんが主演していたのですから かなり期待されて制作されていたのでしょうし 相当ヒットしたろうと思われますから 小説自体の人気があったのだと思います。私が高校生の頃にも 石原さんの演じた主役を 三浦友和さんでリメイクされていましたから 数十年を経過しても 依然として人気があったのだろうと思います。
    私がこれまでに読んだ小説の数でいうと 「グインサーガ」がありますので 圧倒的に栗本薫さんでしょうが 十代の感受性が鋭い時期に 一番影響を受けたのは 五木寛之さんと 石坂洋二郎さんだと思います。五木さんの作品で一番影響を受けたのは 「青春の門」と「青年は荒野をめざす」だと思います。主人公の年齢が 自分に近かったので 特に思い入れが強かったのかもしれません。石坂さんの作品では 一番最初に読んだ「光る海」だと思います。早く大学を卒業して 働くところから 自分の本当の青春が始まるのだろうと ワクワクしたものです。ただし私の場合 働き始めてから 決意して仕事を辞めて 大学に入りなおしましたから ある意味本当に辛くて悩ましい青春時代だったようです。
    今夜は 久しぶりに「光る海」を読み返してみようと思います。高校時代の 今よりは 純粋でまっとうな人間だったころに 戻れるわけはないけれど 当時の優しい気持ちに近づけるような気分だから 寝不足にはなるでしょうが しっかりと読書に勤しんでみようと思います。

  • 10月5日 帰り路に 音色にたたずむ 秋の虫

    だいぶ涼しくなってきました。夜病院のシャッターを閉めるために外に出ると 病院内よりも涼しいくらいに感じます。病院の閉め際に近所のスーパーに出かけての帰り道 草むらから聞こえてくる 秋の虫の心地よい鳴き声に 思わずたたずんでしまって 聞きほれてしまいましたので その情景を詠んでみました。私のこれまでの俳句作りの基本形は 上五の部分に とりあえずはその季節の季語を入れてしまって その後の中七と 下五の部分で気持ちや情景を描こうとするワンパターンでしたが 今回は思い切ってとはいっても 別にありがちな形ですが 季語を下五に持ってくる形にしてみました。俳句としていいのか悪いのかは 初心者である私には さっぱり見当がつきません。でも先月から参加している俳句同好会の月一回の句会に参加すれば 東京在住のお偉い先生に 見ていただいて 簡単な寸評がいただけるのだそうですので 提出してみて 評価していただこうと考えております。まだほんの始めたばっかりの未熟者ですから どんな句がよいと評価されるのか よいと評価される判断基準さえ まったく理解できておりません。

    まあ俳句も たった十七文字と短いけれど 一つの文芸作品なのでしょうから あまり理屈にこだわっていても いいものができるわけはないのでしょうから 私なりの感性を自由に開放して その時にその場で受け止めたことを素直に表現していきたいと思っております。ただし俳句にもいくつかルールがあるのでその決まりごとは守っていかなければなりません。俳句には必ず季語を入れることが最低条件であることは ご存じの方も多いと思いますが 逆に一つの句に二つ以上の季語が入ってしまうのは 季重なりと言って 絶対に認められないことはないのだそうですが 出来たら避けるように心がけるべきだと教えてもらいました。

    先月提出した句にも 季重なりのものがあって 先生に注意されてしまいました。
       「残暑とは 名のみの日差し 滝の汗」
    という句です。私は 「残暑」という 季語を見つけましたので 季節としては 残暑と呼ばれる時期なのですが 昼間の暑さはまだまだ夏真っ盛りで 汗っかきの私は 滝のように汗をかいている という状況を詠みたくて作りました。ところが 「汗」という日常によく登場する言葉が これまた季語だったみたいで この句は季重なりになってしまっていたのだそうで 自分としては全く気付かぬうちにルール違反をしでかしていたようです。

    そこで今月は 季重なりのルール違反だけは注意しようと心がけておりました。ところが苦労して作り上げた一句になんと三つの季語を入れてしまうという 季語だけで十七文字を一杯にしてしまうような 大失敗を犯してしまいました。
       「急冷に 蟄虫みなふし くしゃみする」
    という一句です。蟄虫みなふし とは寒くなると 虫たちが土の穴の奥のほうへ避難してしまう という長ったらしくて みなふしも本来漢字なのですが 探しても見つからないぐらいに珍しい漢字ですから 知らない人は読めないでしょうし 意味も分からないだろうと思われる かなりマニアックな季語を見つけて 初心者にありがちな奇をてらったチョイスしてしまいました。急に寒くなってしまったので 虫たちは慌てて穴の奥に逃げ込むし 私は風邪をひいてしまい くしゃみをしています という状況を詠みたかっただけなのですが 急冷の冷が寒さを表す場合季語として認定されるのだそうですし くしゃみという言葉もやはり季語に含まれているのだそうです。私は急に寒くなった日のよくある一日を俳句にしてみたかっただけなのに なんと季語ばかりで一句を作ってしまいました。本当に俳句というものは 私からすれば 非常に制約の多い厄介な代物ですが まあだからこそ慎重に言葉を選んでたった十七文字の文芸作品を作り上げる作業が とても楽しく感じられますので これからも頑張っていこうと思います。

  • 10月5日 

  • 10月4日 十月から始まる「まだ結婚できない男」が楽しみです

    私はこのブログに何度も書いておりますが アイドル好き つまり若くて可愛らしい女の子が大好きですが 男性でも凄く男前の方々が好きです。例えばキムタクや福山君 そして最低最悪の政治家ではない方のアベチャン 阿部寛さん等の主演されるドラマは 殆ど欠かさず見ています。特に前作の「結婚できない男」は お気に入りで 現在アマゾンのプライムビデオで おきにいりの筆頭に保管していて 暇さえあれば 繰り返し視聴しておりました。
    このドラマの主演の阿部さんの端正な顔立ちも大好きだし なのに偏屈で不器用な生き方しか出来なくて なかなか結婚できない男を好演されているのが とっても大好きで 繰り返し繰り返し楽しんでおりました。相手役だった夏川結衣さんも 非常に好ましく思っている女優さんなので 前作の最後で 何となく二人が結ばれるであろう と言う雰囲気の中でのエンディングでしたから 早川先生とのその後が どのように破局を迎えて現在いまだに独身を継続しているのか 今回のドラマの最初で 納得のいく説明がなされていることを期待します。
    今回のドラマでは 相手役としては 吉田羊さんや稲森いずみが共演されますが どちらも私の好感度が高い方々なので 楽しみにしております。そして一番の楽しみは マイマイこと深川麻衣さんが主要キャストとして 出演している事です。マイマイは 顔の可愛らしさでは ナーちゃんの方がわずかに上回りますが スタイルや優しくて思いやりにあふれた性格などは 人類最強だと評価しておりますので 現在と言うよりこれまでも含めて私にとって 最高にチャーミングな女の子です。前作の 国仲さんの様な 頻繁に絡んでくる お隣さんの設定だそうですから 出番もかなり多い事が期待されますので 本当に楽しみにしております。
    私の中で これまでに見たドラマのうちで お気に入りナンバーワンは 「男女七人秋物語」です。DVDを購入して 暇さえあれば繰り返し繰り返し見ておりました。「結婚できない男」はひょっとしたらそれに次ぐお気に入りだったのかもしれません。でも前振り番組などの評判によると 「まだ・・・」はその面白さが更にパワーアップしているみたいなので ひょっとしたら私の好きなドラマのナンバーワンになってしまうかもしれませんので 早く第一話をみてみたいです。ただし 前作との絡みを有耶無耶にしてスタートするのではなくて 早川先生との顛末の納得のいく説明だけは きちんとなされることを切望しております。
    前回 出演されていたメンバーで 引き続き登場される方も少なくありませんが この十数年は 皆に平等に時の流れが訪れているはずなのですが その間に私は 頭髪がめっきり白くなってしまいましたし そのボリュームも恐らく半分ぐらいに減少しているように思いますが まだ小さかった女の子以外は 殆ど変化が感じられないのは 流石に見た目が命の芸能人さんたちですから 普段から精進されていて見た目の衰えを最小限に食い止められているのだと感じて 流石だと拍手したいです。
    前作で 一人が好き とか 親戚づきあいが嫌い とか 自分のお金なのだから好きなように使いたい 等と言う 非常に親近感を持てる主張が少なからずありました。だから私はこのドラマが 特別にお気に入りなのだと思いますが 今回の続編でも 更に我儘な寂しい男あるある をふんだんに表現されていると 本当に私にとっての 最上のドラマとなるのかもしれませんので ワクワクが止まりません。そういえば 現在ナンバーワンの 「男女七人秋物語」も「夏物語」の続編です。10月8日9時から の放送を楽しみにしながらそれまでの時間を過ごそうと思います。

  • 10月3日 自分の病院に出かけました

    毎回 病院に出かけるとまずは採血して 血液検査の結果をもとに かかりつけの先生の診察を受けて 御診断頂くのですが 前回の血液検査の時に 私の血液が固まり易い傾向が見られたのだそうで 本日は 特別に血液内科の先生の診察まで受ける羽目になってしまいました。その為にいつもよりも早く出かけて余分に診察室を回りました。只本日は 前回の血液を検査してみての結果について説明されただけで 本日採血した血液の検査結果が出るのは 数日後になるので 結果の説明は 緊急を要する場合以外は 次回の来院予定の二か月後に説明する と言う事でしたので 次回もいつもよりも早目に出かけねばならないのだそうです。まあ先生の 個人的な予測としては 現実的な心配はないでしょうけれど 一応こういう場合は 最悪を想定して 慎重に対応するので 念のための確認作業です とのことでしたので あまり深刻に考える必要はなさそうです。
    本日は 今年の初めにエコー検査を受けた時に 胆嚢にポリープがみつかったので それが変化が無ければ問題ないのですが 大きさが増大していた場合 腫瘍である心配があるので 秋に再検査してみましょう と言われていたので エコー検査も受けました。エコー検査の結果 以前からある胆石も 今年の初めに見つかったポリープも 全く変化が見られないので 心配ないでしょうというお言葉を頂き正直ホッとました。
    そして いつもの診察でしたが ヘモグロビンA1cの値が前回非常に悪かったので 今回も続けて悪い場合は 先生からかなりお小言を頂戴しそうで心配でしたが 前回よりは1.0ほど下がりましたので まだ正常値を超えてはおりますが 努力を認めて頂きましたので こちらも一安心でした。何時もなら 病院にはいい大人ですから 当たり前ですが一人で出かけますが 今回は ひょっとして胆嚢に腫瘍の可能性が広がり 手術の可能性などを説明された場合 腰抜け野郎の私が しっかりと話を受けとめられる自信がなかったので 診察時に奥様にも同席して頂きました。まあ本日の所は それ程腰を抜かすほどの恐ろしい目には合わずに済みましたので よかったです。
    この一月ほど かなり摂生を心掛けて 食べたいものを辛抱しながらの生活でしたので 本日は冷凍してあったカレーを解凍して 久し振りにご飯を炊いて 頂こうと思います。但しいつもここで緩めすぎて あっと言う間にようやく落ちた体重がリバウンドしてしまうので 今回こそは 上手い事コントロールして 何とかすんなりとこれ以上の体重減少につなげていこうと 考えております。
    犬でも 肥満が原因で 糖尿病になったり 心臓病になったりしている犬が結構いますので それらの飼い主さんには 頑張って体重を落としましょう と申しております手前からも その言葉に説得力を持たせるためには 自らが体重を落として見せなければなりません。減量が 元気で長生きにつながるばかりではなくて 仕事上の発言の説得力向上にも結び付きますので 尚更体重減少は大切なのです。あまり体重の事を気にしている爺さんなんて 恥ずかしい事この上ありませんが 自分のメンツよりも 健康と仕事の方が大事なので 今度こそリバウンドしない事を目指して頑張ります。

  • 10月2日 そういえば 十月から消費税が10パーセントに上がりました

    当院としては 治療費などの合計額に対して8パーセントの金額をお預かりしていたのが 10パーセント分お預かりして 年明けにまとめて納税するだけなので 年度の途中からなので その分処理が面倒にはなりますが それ程厄介な手間暇はかかりません。かえって 10パーセントの方が 金額のきりがよくなりますので 計算間違いなどが少なくなるのでしょうし 往診などの時のつり銭も細かくなくなりますから 正直な気持ち助かるように思っております。
    世の中では 先月中に支払えば 2パーセント分安く済むので 駆け込み需要が結構あったような話を聞いております。動物病院でも 避妊の手術など 何時でもできる手術を 駆け込みで9月中に終わらせた方が そこそこいらっしゃいましたが ほんの数百円の事で 大騒ぎする必要があるのかどうかと不思議に思ってしまいます。消費税が上がるたびに 日本の経済が大きなダメージを受けて 消費は大きく冷え込む と大きな声で 真剣な顔をして訴えている人がいますが 病院の売り上げには 殆ど影響が無いように思います。まあもともと大した売り上げが上がっていないからかもしれませんけれど。
    単に自分の経営努力が足りなくて 営業実績が下降しているかもしれないものを 消費税が上がったことに責任転嫁している方が 世の中多すぎるのではないかと考えてしまいます。病院の場合 ワクチンや定型的な手術の場合 料金が固定されていますから 消費増税分は そのまま支払いの上昇につながりますが 処置量や検査料などある程度流動的な料金で 加減したりしますので 患者さんが支払われるときの実感としては 高くなったとは 殆ど感じないように心掛けているつもりです。
    私に直接かかわるとしたら 奥様と時々する外食の料金や 映画代が幾らかでも高くついたりするのでしょうか。まあいくらかでも高くつくからと言って 楽しい食事をしなくなるわけではないので 殆ど実質的な影響は無いように思います。
    うちには 無関係ですが 複雑怪奇な位ややこしい条件設定がされている 軽減税率の関わる商品を扱っておられるお仕事の方たちの御苦労が 本当に可哀想に思います。政治家と役人の 国民に対する中途半端なおべんちゃらの為に 様々な対応が必要みたいです。本当に政治家と役人は 国民の為に軽減税率を導入する 等として 通り一遍
    の極めて表面的な事しか考えていないので 軽減税率に現実に取り組まなければならない人々の苦労や出費など全くお構いなしなのが腹立たしく感じます。自分たちは先頭を切って国民の為の仕事をしたので 後はよろしく的なスタンスなのでしょう。
    それに軽減税率の制度は いずれは終了するはずです。現在の所 何時までと言う設定はなされていないらしいのですが あくまでこれは 消費増税のイメージを緩和するための措置ですから 国民がある程度消費税10パーセントに馴染んで来たら 徐々になくなっていくはずですが その時にまた混乱が起こるであろうと予想されますから どうしてこんな中途半端でややこしくて分かりにくい誤魔化し対応を採用したのか 本当に不思議に思います。
    消費税が10パーセントに上がりましたが この比率はあくまで通過点であって ゴールに到達したわけではありません。消費税が上がるたびにこんな混乱と国民が迷惑を被るような政策は 繰り返してほしくありませんが まだ当分無能の極みであるアベチャンの天下が続くのでしょうから 明るい未来はまっていないであろうことが とても残念です。

  • 10月1日 本日はネクタイの日なのだそうです

    1884年の本日、小山梅吉さんと言う方が日本で初めてネクタイの製造を始めたことに因んでいるのだそうです。尚 小山さんは 帽子をメインに扱う商売をなさっておられたそうで 国産のネクタイ第一号は 意外にも蝶ネクタイだったのだそうです。ネクタイとは 私は全く縁のない生活をしております。所謂スーツやブレザーを着用する機会が 全然ないからです。当面私がネクタイを締めるとすると 恐らく父親の葬式の時だろうと想像されます。まあボチボチ友人でも 早死にする者が現れるのかもしれませんし 親戚筋で考えると 父の弟 私の叔父さんにあたる方が 八十代後半ですから 可能性があるのかもしれません。今更おめでたい結婚式に招かれる可能性は 殆どありませんから 多分占めるとしたら黒ネクタイだと思います。
    私は一つ目の大学を卒業してから 三年ほど 塩野義製薬に勤めておりましたので その時はいわゆる病院周りの医者相手のセールスマンのような仕事でしたから 当然毎日スーツを着て ネクタイを締めておりました。私の父が 結構服装にはこだわる人間で 生涯サラリーマンでしたので 年がら年中スーツを着用しておりました。馴染の洋服屋さんがあって スーツは必ずオーダーメイドで誂えておりました。その為 私も最初に作った二三着のスーツは その店でオーダーメイドで誂えてもらいました。価格は 当時で十万円位したと思います。私の初任給は 十三万円位でしたから 分不相応な贅沢でしたが 父の拘りがカッコよく見えたので 頑張って購入しました。
    スーツにあわせて ネクタイもそこそこ上等のものをチョイスしていたように思います。ネクタイ自体は 合唱団の演奏会の時に揃いのブレザーに揃いのネクタイがユニフォームみたいなものでしたから 一応簡単な結び方は身につけておりましたが 社会人になってから もっとちゃんとした結び方を覚える必要性を感じて 父と同じ結び方を見よう見まねで習得しました。結び方の正式な名称としては セミダブルウィンザーノット と言うのだそうです。結び目がきれいに三角形で 程よい大きさになり 自分でもなかなかカッコいい結び方だと思っておりました。
    塩野義製薬に勤めていた二年半ほどは 殆ど毎日スーツを着用していましたから 当然ネクタイも締めておりました。休日にプライベートで遊びに行く場合でも ブレザーにスラックス姿なので ネクタイを締めていたように記憶しています。多分その時期に 私がネクタイを締める機会を使い果たしたのだと思いますので 今後はそれこそ葬式にでかけるとき以外は締めないと思います。但し 私の年齢が上がっておりますから 知人 友人の年齢層も高くなっていますので案外葬式に出席する機会は増えてくるのかもしれません。
    ほんの一瞬ですが ネクタイピンに興味がそそられた時期がありまして 幾つか集めてみましたが 私が身繕いに関して こだわりを持つ期間が長続きするはずもなく すぐに無関心になって 今ではどこに行ってしまったのか 見当もつきません。こんな私ですが たまにはスーツを着てネクタイを締めて 外出する機会があってもいいのかもしれませんが 現在の体格に合うスーツなんか 存在しませんから 新しく注文しなければなりませんし それなりにお金もかかりますから そんな事は叶わぬ夢と終わるでしょう。私と同期の連中でも 未だに会社勤めをしている者もいますから 毎日ネクタイを締めて出勤しているのでしょう。私の様にだらしない人間とは 縁遠い生活だと思うと ふと寂しくなってしまいます。