Dr.喜作のブログ

2020年10月 の記事一覧

  • 10月19日 旅行二日目です

    予定通りの時刻に フェリーは別府港に到着しました。六時ごろに目覚めましたので 昨日と同じ席が空いていましたので その席について 別府港に到着する様子を見ながら やはり私が手作りしましたサンドイッチとコーヒーを朝食としていただきました。慣れないうちは 車の注射してあるフロアに 早めについておかないと と慌てて準備をしましたが 段々慣れてくると 慌てなくなって 公共スペースに誰もいなくなってから のんびりと部屋に戻り 荷物をまとめて 駐車スペースに向かいました。周囲の車を見ると 皆さん車に乗り込んで 準備万端ですが 私が乗り込んでからも 実際に車が動き出すまで十分以上かかりましたから 慌てる必要は全然ありません。
    いつもだとすぐに杵築リゾートに向かうのですが 本日は杵築リゾートに向かうのですが 夕方の時間から 近所の波止場の突堤で 釣りを楽しむ予定になっていますので ひとまず本日宿泊予定の杉乃井ホテルに向かいました。チェックインは 三時からしかできませんが 宿泊手続きをすると 屋上にある眺めの良い棚湯という名前の露天風呂に入れることを確認しておきましたので 早速露天風呂にゆっくりと浸かりました。いつもは昼間の予定が詰まっているので 真っ暗になってからしか入れませんでしたが 本日はいいお天気の中 朝のうちから 別府湾を一望に出来る露天風呂にのんびりと ゆったりと浸かって 凄く楽しいひと時を過ごしました。
    お昼ごろに ホテルを出発して 大分名物 とり天発祥のお店と言われている東洋軒というお店に出かけて 名物のとり天を頂いてみました。ゆず風味のとり天を頂きましたが まあ別に普通のとり天だとしか思いませんでした。勿論美味しく残さず頂きました。やはり大分名物であるやせうまというおやつを仕入れましたので 杵築リゾートへ向かう途中の海岸にある公園で 砂浜に腰かけていただきました。形や味付けにはいろいろとバリエーションがあるみたいでしたが 私が頂いたのは いわゆる普通の平べったいきしめんみたいなウドンに砂糖を混ぜた甘いきな粉をタップリとまぶした代物でした。きな粉にまぶしてありますから 私はお正月に食べる安倍川餅 お餅をこんがりと焼いて お湯にさっとくぐらせて 砂糖入りきな粉にまぶして食べるお餅を わが家では安倍川餅と呼んでおりますが そのお餅を思い出しました。大分育ちの奥様は 学校の給食のサイドメニューとして パンのお皿に盛られるおかずとして 頻繁に登場していたので とても懐かしいと仰っていました。
    そんなこんなことをしているうちに 待ち合わせの時間 三時少し前になりましたので 杵築リゾートの管理事務所に到着しました。そこから歩いてもいける波止場で 移住の先輩の釣り名人の方をご紹介いただいて 釣りのご指導を仰ごうという計画です。今の時期 夕方に堤防では 小アジをターゲットにして コマセ釣りが 初心者でも楽しめるのだそうで その準備をしていただいておりました。この釣りは 糸の一番先にコマセという小さなかごをぶら下げてあり そこに小魚の好む餌を詰め込みます。かごの少し上の部分に餌をつけていない針を幾つかぶら下げておくと コマセから散らばった餌を食べる為に密集してきた小魚のうちのうっかり君が餌のついていない針を飲み込んでくれる場合があるので そのうっかり君を釣り上げようという作戦なのだそうです。
    釣り方としては コマセを適当な深さまで沈めてから 竿の先をちょっとゆすってやると コマセの餌がばらまかれるので その餌を目当てに小魚たちが 密集してくるのは 堤防から見ていても確認できますから 後はうっかり君が現れるのを待つだけで 当りを感じたら 竿を少し立てて 口元に針をしっかりとかけてやって釣り上げるだけですから 技術的には簡単そうに思えたのですがなかなかうっかり君が現れてくれなくて さっぱり釣れないので 正直焦っていたら 少し離れたところで同じようにコマセ釣りの仕掛けをたらしている 奥様が 小アジやカワハギなどを釣り上げていましたので 平気な顔をしていましたが 泣きそうな気分になってしまいました。私は遊びに行くときは 必ず奥様と一緒に出掛けますが ゴルフにしてもカラオケにしても 奥様に敵いません。
    ゴルフの場合 当然私の方が体力では勝りますから 飛距離は出ますが スライスしてしまう病気がひどいので OBを連発してしまって 結局スコアでは奥様に負けてしまいます。カラオケでも 声量では勝りますが 私は思い入れの強い曲の場合 楽譜通りに というよりも自分が歌いたいように歌いますので テンポも自分なりに歌いますし 気分によって楽譜にはない装飾音をつけてしまいますので 機械による採点だと 殆どの場合奥様の方が 点数が高くなってしまいます。多分今後釣りを初めても 釣果を比較すると 間違いなく奥様の方が上回るであろうことを 今から覚悟しておいた方がよさそうです。
    しばらくしてやっと私の竿にも手ごたえがあり 引っ張りあげてみると 見覚えのある柄なので 嫌な予感がしたら 案の定フグでした。勿論食べられないので 直ぐに海に返しました。その後もう一匹釣り上げましたが これまた毒のある小魚で 食べられないので 直ぐにリリースしました。結局私は 食用になる魚を一匹も釣り上げられませんでしたが 奥様は小アジをそこそこ そしてカワハギやベラなど食べられる魚を何匹も釣り上げておられました。釣果はさっぱりでしたが 子供のころ以来の釣りを体験できて とても楽しいひと時でした。その後杉乃井ホテルに戻って バイキングの美味しい夕食をタップリと頂きました。但し コロナ対策なのでしょうが 料理が殆ど小さな器に予め取り分けて置いてあるので 大皿から自分が欲しいだけ取れるわけではないのが ちょっぴり残念でした。
    今日は 実質初日でしたが 温泉にたっぷりと浸かって 美味しいものを沢山いただき 久しぶりの釣りを楽しめましたので とても充実した一日でした。結構屋外をうろついて 疲れましたので ふかふかのベッドで早めに休みました。
     

  • 10月18日 午後から病院を閉めて さんふらわあに乗って大分への旅行に出かけました

    大分県杵築市の 大和ハウスプロデュースの杵築リゾートの一区画に移住がほぼ決定的になっておりますが いつも二月の寒い時期に訪問しておりますので 秋の過ごしやすい時期に出かけてみようと考えて 今回の旅行を企画しました。いつもですと 杵築リゾートの移住の先輩方のお宅を訪問して この地の良い点 困った点などを直接お尋ねしたりいて 移住を決意するための参考にさせていただこうとしておりましたが コロナ禍の収まらない昨今の事情がありますので 何時も訪問先を探してセッティングしていただく 大和ハウスの管理事務所の方から 今回は先輩のご紹介は難しいと連絡を貰いました。
    大分県では 現在たまに感染確認者がほんの数名出るくらいであり この杵築リゾートからは未だ一人も感染者が出ていないのだそうですから ましてや大阪は 一時期に比べれば減少していますが 今でも五十人前後が連日確認されていますから お宅訪問が難しいのは 致し方のないことだと思います。そこで 今回の旅行は 屋外でのんびりと遊ぼうという予定ばかりを立ててみました。これまでは 朝別府港に到着すると 直ぐに車で杵築リゾートへ乗り込んで 自分のお気に入りの区画を見に行きます。
    広さは五百数十坪あって 手前に平らな土地が二百坪ぐらいあって 奥の方はなだらかな傾斜地になって 木が林のように茂っています。残念なことに 木の茂っている方向が南側なので 手前の平坦な土地はかなり広々としていますが あまり日当りがよくありません。ですから家を建てる前に 二三十本の木を伐採して 日当たりをよくする予定です。伐採費用は 一本当たり一万円位なのだそうですから 数十本で数十万円は 家の日当たりのためには しょうがないでしょう。まあ奥様に言わせると 日差しがあんまり当たらないほうが 涼しくていいのではないか と仰っていますので どのあたりまでの木を伐採するかは慎重に判断しようと考えております。但し私としては 屋根に太陽光パネルを設置して 自家発電して 勿論オール電化にして水道光熱費を浮かせようと考えておりますので ある程度の日当たりは 不可欠だと考えております。
    今回の旅行は 二月と違って いわゆる観光シーズンだし ゴートゥートラベルキャンペーンの真っ最中ですから かなり混みあうのかなと予想していましたが フェリーに乗り込むの車の数も 船内のお客さんの数も 多分一番お客さんが少ないであろう二月ごろと変わりありませんでした。やはり コロナの影響は大きいのかもしれません。私の仕事は有難いことに 殆ど影響を受けておりませんでいたので 無頓着に生活しておりましたが やはり観光業界の落ち込みは 相当にひどいのかもしれないと思いました。
    旅行の初日は いつものように私の手作りお弁当を持参しました。いつも作りすぎると奥様に 散々怒られるので 今回はお握りの四つ 各自二つずつにしましたので それ程奥様がお怒りになられませんでしたが 私としてはなんとなく物足りないお弁当になってしまったように思います。いつものように 窓もないしトイレもない四人部屋を奥様と二人で貸し切りになっておりますが 船に乗り込むと 二人ともお昼を殆ど食べていませんでしたので 直ぐにお弁当を食べようという事になりました。その前に 船の公共スペースの込み具合を確認して回ると テレビの側の窓に向かう二人の席が空いていましたので 大阪南港から出港する様子を眺めながら お弁当を頂くことにしました。
    お握りは ほどほどの大きさのものを二個ずつと おかずは 色んな具を混ぜ込まれた卵焼き ジャガイモを大きめに茹でて作ったポテトサラダ 肉団子の甘酢のレトルトのものに玉ねぎとキャベツを炒めて甘酢で絡めたもの そしていつもの定番 竹輪にキュウリとチーズを詰め込んだ一品でした。まあ味付けは お握りにも味がついているので なるべく薄味になるように 気を付けて作りましたので あまり奥様から文句を言われませんでした。水筒に入れた熱々の御茶と 500ミリリットルのジュースや紅茶 それにスナック菓子のおやつまで持ち込んでいましたので お弁当を食べ終わってから ポテチなどをつまみながら のんびりと窓の外の景色を楽しんだり テレビの番組を見たりして ゆったりとした時間を過ごしました。
    出港直後は 公共スペースも賑わっていましたが 皆さん飲み食いが終わって部屋に戻られたみたいで 寂しくなってまいりましたので 私たちも自分たちの部屋に戻りました。ベッドに寝っ転がりながら テレビの番組を見ては 奥様と談笑しておりましたが 船が関西から遠ざかってくると テレビがまともに受信できなくなってきましたので 明日以降も私の旅行はスケジュールが詰まっておりますので 早めに部屋を暗くして眠ることにしました。

  • 10月16日 首相の学術会議のメンバーに推薦された六人を外した理由についての言い訳に一貫性がありません

    少し前に新聞では 首相の側近の言い分として 学術会議から推薦された105人のうち 以前に政府のやり方にいちゃもんをつけた学者六人を 側近が忖度して外していたので 首相は99人の推薦された学者先生の存在しか知らなかったので 首相はその99人をそのまま推薦したのであって 六人が外されたことは 首相のあずかり知らない所であるから 首相には何の責任もない と主張していました。所が本日の首相の言い分だと 学術会議のメンバーは会議側から提出されたメンバーをそっくりそのまま首相が認めるのがこれまでの慣例になっているが メンバー構成を見ると 明らかに意図的な偏りがあるから 首相の意志で六人のメンバーを推薦から外した と主張しています。
    まずは 明らかに数日前に発表された見解とは 根本的に異なる事実がありますから 首相はまずこの見解の違いについてから きちんと説明する必要があるのではないでしょうか。一度は知らなかったからしょうがない と突っぱねようとしたけれども 所詮そんな無理が通るはずがないことが分かったので 理由があって外した と主張を変更したのでしょうが だとしたら学術会議のメンバーとして推薦された他の99人についてはいったいどのような理由で適当と判断して そのまま推薦されたのに 外された六人が一体何故 どのような理由で外されたのか明確に説明すべきでしょう。
    我々一般人には 学術会議のメンバーになれようとなれなかろうと どうでもいいことのようにも思えますが 学者先生の社会では 天と地ぐらいに大きな立場の違いがあるのかもしれません。だとしたら 外された先生方お一人お一人について メンバーに偏りがあるようだから外した などと曖昧な一般論で片付けようとしないで 明確にこの先生のこれまでの業績が 学術会議のメンバーとしていかに相応しくないから 推薦できない という理由を明確に説明する責任があるのは 間違いないように思います。
    単にこの先生方が 政府のやり方にいちゃもんをつけたから外した というのが本当の理由なら 正直にその真相を明らかにすべきだと思います。そもそもアベチャンの時代に アベチャンに有利になるような忖度を働かせた役人が 異例の出世をしたのに対して 少しでも異を唱えた役人が 左遷された事実は 明白なのですから このジッチャンはそんな悪い習慣まで 引き継ごうとしているのだとしたら 凄く困ったものです。大たいこのジッチャンは 政府が決めた政策に異を唱える役人は 切り捨てると 堂々と発言するぐらいの ヒットラーにも負けないぐらいの独裁者ぶりを最初から発揮しているのですから 自分に直接影響が殆どない学者先生にまで 楯突くものは切る という姿勢を貫こうとしているのは ある意味あっぱれと言えるのかもしれません。
    このジッチャンは 自分が野党議員だった時に出版した本が また出版された時に 自分が野党議員で 与党の弱点を突こうとしていた時代には 役人の仕事はきちんとデータ化して 細大漏らさず記録し 一字一句まで残しておくべきだと 主張していたのに 自分が首相になってから発売される本では その部分を割愛しているのです。アベチャンの時代に アベチャンに不都合のある内容の記録は どんどん改ざんするは 紛失して見つからないことにするは やりたい放題でしたが 今後自分が首相になってからも やりたい放題 記録の改ざん 紛失何でもありのやり方を踏襲するつもりだから そんな自分にとって不都合な記述を消してなくすぐらいなら そんな本をあらたに販売すべきではないと どうして考えないのでしょうか。ちなみに アベチャンに都合の悪い記録を改ざんしたり 消失させた担当の役人は 異例の出世を遂げているのだそうです。アベチャンに忖度できた大きなご褒美でしょう。
    絶対多数の議員数を基盤として やりたい放題だったアベチャンの政権がやっと終わってくれたと思ったとたんに もっと質の悪いジッチャンの政権が出来上がってしまい 自民党議員の殆どが勝ち馬に乗るために味方に付いてしまいましたから 当分はこの政権も安泰でしょう。日本の闇は 例えコロナ禍が上手く収束したとしても ずっと続くのだと思うと 泣きたくなります。

  • 10月15日 ハンコレスの時代は やってくるのでしょうか

    私は 携帯にしてもガラケイを後生大事に首からぶら下げている人間ですから 時代遅れの省庁のような人間であることは 十分に自覚しております。現代は デジタル化された時代なのだそうで そもそも書類自体が昔のように 一枚の紙きれではなくて データ化されることにより いちいち紙にハンコを押す作業を必要としなくなり 電子印鑑なるものによって書類の決裁が とってもスムーズになるのだそうです。私のような典型的なアナログ人間からすれば 一枚の書類に自分のハンコを押して 提出すると 係長から課長更には部長さん さらにその上の重役さんのハンコが連なって ようやく決済される時代にしかサラリーマンを経験しておりませんので 現代の会社の書類のペーパーレス化が 具体的にどの程度徹底されているのか 見当もつきません。
    まあ私の今後 ハンコを押す必要がある作業や事務手続きがどれくらいあるのか 分かりませんが やはりこれまでのように紙切れにハンコを押して契約書を交わすような時代ではなくなってしまうのでしょうか。昔なら大きな買い物をするための重要な契約書を交わすときには 実印という特別な印鑑を押印して 役所から発行される印鑑証明なる書類まで添付したりしましたが 今後は実印の出番もなくなってしまうのでしょうか。一般人の私は ああこれからはハンコを押す機会が少なくなるのだな 時々役所なんかで書類を貰うのに 印鑑を忘れたがために面倒な思いをしたことがありましたが そういう事がなくなるのであれば うっかりの多い私にしてみれば 助かるなあ 位の感覚しかありませんが 印鑑業界や 町のはんこ屋さんは 存続の危機に瀕しているのかもしれません。現在は 私のように 林 というありきたりの名字ですから 旅先などでどうしてもハンコが必要になった時には 大き目のホームセンターなどを探せば 三文判が割と簡単に手に入りますので わざわざはんこ屋さんを探し求める事もありませんが 珍しいお名前の方なんかの場合 ちゃんとしたはんこ屋さんでなければ 扱われていないケースも多いのかもしれません。ハンコレス時代の到来は ハンコ業界に関わっておられる方には コロナ禍どころではない存亡の危機がやってきているのかもしれません。
    ハンコレス という風潮は 紙きれによる書類が 減少していっている昨今では 必然的な流れなのかもしれません。まあハンコが押してあれば その人が承認したことを証明しているかのような 昔からの感覚がありますが ハンコなんて誰がどのような意図で押したのか 保証するものは全くないのかもしれませんから ハンコさえ押してあれば 安心できるという感覚自体が怪しいのかもしれません。以前は 宅急便を受け取るときも 紙切れにハンコを押さないと受け取れなかったように思いますが 現在はタブレットにペンが渡されて 記名してくれ という会社が増えてきています。昔外国のドラマで 荷物が自宅などに届いたときに サインだけで受け取れていたのに なんとなく違和感を感じていましたが 何でもかんでもハンコを求められていた日本がずれていただけなのかも知れません。
    こんな時代ですが 婚姻届けなどは やっぱり当事者や保証人が 気持ちを込めて押印した書類を届ける習慣が残っているのだそうです。私が年明けにやっている 確定申告の作業も 電子化してそのデータだけを提出することが かなり以前から行われているみたいです。昔は 税務署から届いた 決算書や申告書に手書きで文字や数字を書き込んで 税務署まで持参して提出していました。私は現在 パソコンの会計ソフトを利用しておりますので 決算の作業は データをパソコンに入力して ソフトに決算書の作成をお任せしております。プリントアウトしたものを二部作って 捺印欄にハンコを押して 税務署に提出に出かけております。決算書はほんの幾つかの数値と文字を記入するだけで ものの十分もあれば終わりますので 手書きで行っております。これぐらいは 自分で記入しないと 確定申告の作業を自分で成し遂げた気分が味わえないからです。
    いつも二月になって 税務署がすいている時期に 決算書と申告書を持って 税務署を訪問して 書類を提出して その控えの書類に税務署のハンコを押してもらったものをファイルの綴じこんで私の確定申告の作業が完了いたします。別にデータを送ってもいいし 郵送用の封筒が書類に同封されていますから その封筒に入れて郵送で済ませてもいいのですが 私なりの確定申告の作業の完了を実感するために わざわざ税務署に出かけて 提出して ハンコを押してもらった控え書類をファイルする作業を行っています。
    いずれは 確定申告なども データの送信 または郵送のみでの受付になってしまうのかもしれません。その方が税務署としても楽だし 間違いもなくなるのかもしれませんが やはり私のような昔気質の人間は 役所に持参したいという気持ちが 強いので 私が確定親交をする後二三年は今のままの提出方法がけいぞくしてほしいものだと思います。
    世の中 確かに紙きれの書類よりもデータの方が 間違いや紛失の心配もなくなり 安全で確実で 便利なのかもしれませんが 時代の流れに追いつけなくて困っている人間が少数かもしれませんが いるのは間違いないので マイノリティな存在にやさしい世の中であってほしいものだと思います。  

  • 10月14日 都道府県の魅力度ランキングで 茨城県が久しぶりに最下位を脱出したのだそうです

    このランキングは ブランド総合研究所という民間会社が 三万人+アルファの人に対して ネット上でアンケートを取って 各都道府県に対して感じている魅力を点数化して 合算して平均値をランキングしたものなのだそうですが このデータにどれだけ信ぴょう性があるのかどうだかわかりませんが 他に同類のランキングが存在しないみたいなので 取り敢えずは 信用しておくしかなさそうです。茨城県という関東に存在する県について 関西人は殆ど知りません。栃木県と群馬県と茨城県がどの順番に並んでいるのかさえ 怪しい位です。島根県と鳥取県がどちらが東に位置するか あまり自信がないのと 似たり寄ったりかもしれません。そもそも鳥取県なんて 鳥を取るだったか取った鳥だったかさえ怪しい位です。
    まあこの北関東の三県は ここの所 四十位以下の常連みたいですから 団栗の背比べみたいなものですが 今年は茨城に代わって 栃木県が最下位に沈んなのだそうです。大阪府もかなり個性的なので あまり評判がよくなさそうですが 一応ベストテンには 名を連ねているのだそうです。但し大阪人としては 目の上のたん瘤みたいな存在である京都の方が ずっと上位にランキングされていますから このランキングを見ても 心穏やかではないのかもしれません。私は一つ目の大学が京都にありますから 京都人の友人もそこそこいますので 京都に対してそれ程反感は持っていないつもりです。でも京都人の大阪を見下したような物言いにムカッと来るときには 非常に腹立たしく感じる事もございます。
    まあ三万人+アルファ というサンプル数自体 適切であるのかどうかも疑問に感じないでもありませんが 例年その順位にはあまり変動がないそうなので ある程度平均的な日本人の気持ちが反映されているのかもしれません。正直な所 関西人は 関東地方に対して 反発心を持っているのかもしれませんが その原因としては 関東で使われている言葉に馴染めないことも あるのかもしれません。東北弁になると 完全に下に見て 優越感さえ感じてしまいますが 多分茨城や群馬で使われている言葉に対しては 少なからずカチンと来てしまう場面が珍しくありません。
    昔 嫌われている都道府県のランキング なるものを目にしたことがありますが そのランキングだと大阪府はかなり上位にはいってしまっていたように思います。大阪人は 関東に出かけた時に たとえ東京であろうとなかろうと 堂々と大阪弁を平気で使い続けるので 反感を買いやすいのだそうです。別に大阪弁に特に誇りを持っているわけでもないのでしょうが 郷に入っても郷には従わないのが 大阪人気質なのかもしれません。まあ私のように 大阪で幼稚園から通いましたから 生まれは福岡県ですが 大阪人としての自覚は持っているつもりです。とはいえ 阪神タイガースはどうしても好きになれないで 名古屋のドラゴンズをひたすら応援し続けました。但し 塩野義でサラリーマンをしておりました時に 赴任地の金沢や富山でも ごく当たり前に大阪弁を使っていましたので 仕事相手の地元のドクターからは 大阪弁に対してちょくちょく揶揄されたことがありました。まあ塩野義自体が大阪の道修町発祥の会社ですから 社内ではごく当たり前に大阪弁が通用していましたので 勿論敬語を使うことは意識していましたが 大阪弁を抑えようという気持ちは微塵もございませんでした。
    同じ会社が調べているランキングに 幸福度ランキングというものがあります。各都道府県の同じ人数に対してアンケートを取って 自分の感じている幸せ度を点数化して これまた合算して平均値でランキングしたものですが このランキングだと 魅力度ランキングとは 全く別の並びのランキングになっています。こちらのランキングは 年度によって かなり変動が大きいようです。
    自分が幸せかどうかなんて 主観だけの問題ですから 自分がとても幸せだなどと答える人がいるのか 疑問ですが 上位に入っている都道府県の方は そのように答えている人が多い という事でしょうから そんなことを感じられる都道府県で 生活できれば ひょっとしたら自分も幸せだと感じる事が出来るのかもしれません。私が移住先として考えている大分県は 昨年は十八位でしたが 今年はなんと三位に躍進しておりましたので まだ生活を初めてはおりませんが ちょっぴり嬉しくなってしまいました。下位には 東北の県が多かったように感じますけれど やはり大きな震災があったことが影響しているのかもしれません。
    私が幸せかどうかという質問に答えるとしたら 「とても幸せ」とは 決して答えられないでしょうけれど「少し幸せ」あたりを選ぶように思います。一応やりたい仕事につかせていただいておりますし 奥様という私には勿体なさすぎるパートナーと巡り合えましたし 現在の所 そこそこ経済的にも恵まれている部類に入りそうに思うからです。あとは このブログでも散々書いておりますが 自分が元気なうちにさっさと仕事をリタイアして 楽しい老後を過ごせれば その時なら 「とても幸せ」という選択肢をチョイスできるかもしれません。
    話を元に戻しますと 茨城県の人は 表面的には それ程喜んではいないのかもしれませんけれど 心の内では万歳が鳴りやまないのではないでしょうか。逆に最下位に沈んだ 栃木県の人々は 涙が止まらないのではないでしょうか。一民間会社が発表する アンケート結果に基づくランキングですから どうでもいいと言えばどうでもいい代物ですが やっぱり一番魅力のない都道府県と位置付けられたら 地元愛が強ければ強いほど ショックが大きいだろうと思います。でも万年一位の北海道だって 別に努力をしたわけではないし 一番北にあり 断トツに広い面積があるだけの 冬は雪に埋もれる お寒い地方に過ぎませんから あまり悲観する必要はないように思いますので 気持ちを楽に持って 頑張っていただきたいです。私は栃木名物と英場 宇都宮餃子が 直ぐに思い浮かびますが 茨城名物と言われても 何一つ思い浮かびませんから。しばらく考えたら ようやく水戸納豆を思い出しました。

  • 10月13日 松井山手のずんべら屋にお昼ご飯を食べに出かけました

    こちらの食堂は 満腹食堂と銘打っています通り ご飯とお味噌汁がお代わりし放題のお店なので 幾つになっても食いしん坊の私にとっては とってもありがたいお店なので ちょくちょくお世話になっております。一人千円前後で かなり美味しくてボリュームたっぷりの定食がいただけますので コロナ禍の時期ではありますが 何時もそこそこのお客さんで賑わっているお店です。このお店に最近 大食いファイターのマックス鈴木さんが来店されたと噂に聞きました。なんでもこれまで成功者がいないチャレンジメニューに挑戦するためだったのだそうです。
    お店に入るとすぐに マックス鈴木さんが来店して チャレンジメニューに見事成功されたというニュースが 報告されていました。そもそもこのチャレンジメニューに挑むのには チャレンジメニューよりも一回りミニサイズのマウンテン盛なるメニューを制限時間内に食べきらなければならない決まりがあるのだそうですが まあ鈴木さんは別格扱いで いきなりチャレンジメニューに挑戦という事になったみたいです。マウンテン盛というのが 山盛りご飯の上に見えていないけれど多分相当量のスパゲッテイその上にエビフライやとんかつコロッケ白身フライなどがてんこ盛りで 重量が3.5キロ 制限時間三十分なのだそうで こちらはチャレンジ成功者がこれまでに十名位いらっしゃるのだそうですが 恐らくその全員が 本番のチャレンジメニューに挑戦したのでしょうが 閑職出来なかったのだと思います。
    本番用のチャレンジメニューも 内容はマウンテン盛と似たり寄ったりだと思いますが 総重量が5.5キロで 制限時間が四十分なのだそうです。私はマックス鈴木さんのファンなので 暇なときに 鈴木さんが全国のチャレンジメニューを制覇して回っている動画を 頻繁に見ておりますが それらのメニューには 総重量が7キロ~8キロのものがザラで 鈴木さんは割と楽層にクリアしていっておられましたので 5.5キロの本日のチャレンジは 割と楽勝なのではないかと予想しておりました。鈴木さんご自身は ご飯にスパゲッティという炭水化物がたっぷりと その上に揚げ物ばかりが山積みされているので かなり苦戦するだろうと 覚悟しておられました。
    ユーチューブでチャレンジされた動画を先に拝見しておりましたが 辛うじて完食はされましたが 残り時間が三分足らずでしたし 食べ終わってから しばらくは 苦しそうに一言も発せずに 耐えておられましたから 鈴木さん自身が本気で精一杯頑張ってのギリギリの所での成功だったことが よくわかりました。私も かなりの食いしん坊ですがから 普通の人よりも沢山食べるのだと思いますが 本当の大食いは全然できません。そもそもフードファイターの方々は 皆どちらかというとやせ型の方ばかりですから デブには短時間で大食いすることは 恐らく体の構造的にも無理なのだと思います。
    まあマックス鈴木さんが チャレンジした大盛の料理を一度見てみたいのですが このメニューは一回りミニサイズのマウンテン盛を完食した人だけが予約出来て 一日一食限定なのだそうですから たまたま出かけた時に そんな方がチャレンジをする機会しかお目にかかれないみたいで 現実に見る事は出来なさそうです。還暦過ぎた私には マウンテン盛3.5キロを完食することなど夢のまた夢でしょうから。
    それにしても 鈴木さんの食べ方は いつも私から見れば 理解しがたい順番で 食べ進められます。まあ上に揚げ物のオンパレードがズラッと並んでいますから 揚げ物から先に食べ始めるのは当然かもしれませんが その下に大量のご飯とスパゲティが潜んでいることは 分かっているのですから どうして揚げ物をおかずにして 下にもぐっている白ご飯を食べていかないのでしょうか。多分短時間で大量に食べるための戦法として 同じ食感のものを続けて食べる方が 早く食べ終えられるのだと思いますが 普通に考えたら 味のついている揚げ物と 同時進行で味のついていない白ご飯を一緒に食べていった方が 美味しいはずだし 食べやすいように思います。
    今回のチャレンジでも 最初に上に並んでいるコロッケやカツ フライなどをすべて先に食べ終えてから スパゲティだけを食べてしまって 最後に残った味のついていないであろう白ご飯を苦しそうに口の中に押し込んでおられました。いい加減大量の揚げ物でお腹がいっぱいになっている所に 味のない白ご飯を詰め込むのは 凄く大変そうに見えました。まあ他のフードファイターの方の食べる順序も似たようなものですから 短時間に大量に食べるためには 同じ食感のものを一時に食べ進めるのが 合理的な食べ方なのでしょう。まあ私には 想像できない次元の量の 大食いですから 一般人には理解できなくても しょうがないのかもしれません。
    そんなわけで 本日奥様と二人で注文したのは チキン南蛮三枚にそれぞれ違った味のタルタルソースがかかった結構大盛のメニューと日替わりランチ 内容は豚の生姜焼きと白身魚のフライでした。かなりボリュームがありますが 白ご飯の量を加減すればそれほど多いことはない と思って注文するのですが どうしてもご飯味噌汁お分かり自由なので ご飯も味噌汁もお代わりしてしまいます。この辺りに貧乏人の浅ましさと 何時まで経ってもデブである理由が潜んでいるのは 間違いありません。いつも食べ終えた時に チキン南蛮を二枚でも注文できますから そちらにすればよかったと後悔して 奥様から注意されてしまいます。
    まあ八日に病院に出かけて検査を受けて まだ一週間たっていませんから ある程度食べる事は大目に見ていただきたいです。そんなわけで 本日は お昼ご飯に美味しい定食をお腹いっぱいに頂きました。 

  • 10月12日 一号線沿いのニトリにあるロゴスへ買い物に出かけました 

    来週から出かける 旅行で 今回は初日が さんふらわあ船内で一泊します。二泊目は 杉乃井ホテルという豪華なホテルの 一番安いお部屋に泊まります。さんふらわあの往復とセットで予約すると 殆ど杉乃井ホテルの宿泊分が浮いてしまう位に お得な旅行パックがあるのです。それも今回は ゴートゥートラベルキャンペーンを利用しましたので フェリーの二人分の運賃+車の往復料金+杉乃井ホテルの二食付き宿泊料合わせて 通常が七万円と少しなのですが ほぼ半額の三万五千円位で 済みましたので 助かりました。日頃は文句ばかり言っているアベチャンに少しだけ感謝しております。
    三泊目は 移住がほぼ決定的な杵築市のお隣にある日出町を試しに訪問してみようと考えましたので その日は 日出町の移住に対する補助金やサービスについて説明を受けたり 空き家バンクで気になった物件を案内してもらったりしまして 体験住宅なるものに泊めてもらおうと計画しております。これまでいろいろな町のこの類の住宅を利用してきましたが 全て無料で泊めてもらえたのに こちらは利用料二千円かかるのだそうで ちょっぴりガッカリしましたが まあこぎれいな一軒家に泊めてもらうのですから 文句は言えないのかもしれません。
    自炊のための道具や食器などは そろっているのだそうですが 勿論食材や調味料などは持ち込まなければならないのだそうです。それから畳の部屋などはありますが 寝具も用意されていないので 布団などを用意しなければならないのだそうです。寝具はレンタルも出来るのだそうですが こちらはこれまでの経験から 無料で泊まれると思っていたのに利用料まで取られて 寝具まで借りるのなら 近所のビジネスホテルにでも泊まった方がましだと思いましたので 今後も有効に利用できるであろう寝袋か布団代わりの小さく収納できるマットレスを購入しようと考えて ロゴスというお店に出かけました。
    キャンプ用品や BBQ用品などの専門店みたいなお店でした。私はこの歳になるまで 寝袋という代物の存在は知っていましたが 実際に見たことも触ったことも ありませんでした。まず最初は寝袋なら 小さく丸めてしまえば それ程かさばらないし 大して重くもなさそうなので 便利で有難いのではないかと思っておりました。所が 寝袋にも価格がピンキリで 相当に幅がありますが 高価格のものだと寒さに対して 非常に強いらしいのですが 価格が高くても 想像していたよりも薄っぺらで 寝心地はかなり悪そうに思いました。店員さんにその点を尋ねると やはり床やテントで土の上に寝るような場合は かなり寝心地が悪いのだそうです。
    そこで寝袋というアイテムを諦めて 空気を入れたり抜いたりして使用する コンパクトにたためてしまえるマットレスの売り場に移動しました。ベッドと言っていい位の厚みがあるものから 煎餅布団みたいに薄っぺらなものまでありました。目に留まったのは 暑さが十センチ弱で かなりクッション性がよくて 寝心地もよさそうなマットレスです。空気の抜けたペッちゃんこの状態で くるくると巻いて運びますので 結構コンパクトになりますし 重量が四キロぐらいなので 運ぶのにもそんなに苦にはならなさそうです。使用するときには 広げて バルブを緩めてやると自然に膨らんでくれます。使用するときは楽だけれど 片付けるときに半分に折りたたんで 片方から くるくると巻きながら空気を抜くときが 結構面倒なのかもしれませんが まあ五分ぐらい頑張れば 奇麗に収納袋に収まってくれるのだそうです。価格も予算内でしたので このマットレスを購入することにしました。あとはこの季節ですから 薄手の掛布団でも用意しておけば 大丈夫だと思います。
    今回の旅行の四日目は やはり日出町にある 海浜公園に遊びに行く予定を立てております。朝からそちらへ移動して 奇麗でかなり人い公園なので 砂浜を散歩したり パターゴルフをして遊んだりする予定です。その晩は公園内にあるログハウスを予約しましたので そちらに一泊する予定です。こちらでも今回購入したマットレスが役立ってくれます。よるはBBQを楽しむつもりなので コンロやテーブルなども車に積み込んで出かけます。食材や炭は 近所のスーパーで購入すれば きっと今回の旅行の楽しい最後の晩餐になるはずです。
    とにかく今回の旅行は 予定が殆どすべて屋外での活動ばかりなので お天気に恵まれる事が必要ですが 今の所お天気はほぼ大丈夫そうな予報が出ていますので 念のためテルテル坊主でもつるしてお祈りをしておこうと思っております。まあケガや事故なく無事に戻ってくれれば幸いです。一応研修のため と銘打っての旅行ですが 大いに楽しんで来ようと考えております。

  • 10月10日 菅のジッチャンは 本当にボケ爺なのでしょうか

    菅のジッチャンは 学術会議で推薦から外した六人について 今頃になって 知らなかったふりを始めました。もし本当に知らなかったのだとしたら 当然この事実が発覚して 問題視されて 初めて問い質された時の 対応からして 全く異なっていたはずだと思いますが よくも今更どうして 知らぬ存ぜぬで押し通そうと判断してしまったのか 見当もつきませんが アベチャン以上に 厚顔無恥なジジイが 首相になってしまって 呆れ果てて 困り果ててしまいます。こんな姑息な手段を使って 国民を騙せるとでも思ったのでしょうか。アベチャンが アベノミクスを信じてついてきたら 国民の生活が必ず楽になる 等という見え見えの大ウソを見事につき通したのを 間近で見ていたので 簡単に国民を欺けると思ったのでしょうか。
    日本国民は 羊みたいに 従順だから 森友家計問題や 桜を見る会について アベチャンが何一つ キチンとした釈明をしていない無責任極まりなさを 文句ひとつ言わず見過ごしてくれていますが こんな事実が アメリカの大統領選挙の論戦の材料に取り上げられたら それこそ徹底的につるし上げを喰らう位の大問題だと思います。今度の問題にしても 要するに 政府にたてつくような行動をとれば 学者の場合 ある意味生涯の目標であるのかもしれない学術会議の会員という身分から排除したり 役人の場合は 降格して島流しにすることを慣例化して 何でもかんでも政府の というよりも菅のジッチャンのいう事を聞かせようとしているとしか 思えません。
    中央官庁に限らず 役人の巣窟は たまたま選挙で当選しただけのぽっと出の 政治家のいう事なんかさっぱり聞いてもらえない 伏魔殿と言えるのかもしれませんから その牙城を揺るがして 風通しを良くする必要があるのかもしれませんが 世の中で 選挙に当選した政治家が一番偉いのだ という気持ちをあまりに前面に押し出して行動されるのも 決して褒められた態度ではないように思います。アベチャンにしても 菅のジッチャンにしても それだけ踏ん反り返られるのは 自民党が衆議院議員の絶対多数にも及ぶ議席数を現在も そして選挙制度が変わらない限りは恐らく今後ずっと続くからだと思います。
    このブログでは 何度も何度も繰り返し書いておりますが こんな自民党の一党独裁 ある意味では中国や北朝鮮と似たり寄ったりの独裁政権が敷かれてしまったのは 小選挙区制選挙という一番図体の大きな政党に圧倒的に有利な選挙制度にうっかりと改悪されてしまったからです。小選挙区制の選挙の場合 単純に支持する人が一番多い候補者がほぼ間違いなく当選してしまう制度なのです。国民の意思が そのまま反映される結果が出るから 良い制度ではないか 等と勘違いをしてはいけません。この選挙制度は 二大政党 たとえばイギリスの保守党と労働党 アメリカの民主党と共和党のように二大政党が確立されている場合は その時の両党の政治的主張や国民の感情によって 国民の意思が結果にかなり鮮明に反映されますから 素晴らしい制度なのですが 日本のように 主義主張がかなりかけ離れた野党が乱立するお国事情だと 中選挙区制度 つまり一つの選挙区から 三から五人の当選者を選ぶ選挙制度が 日本の場合の国民の気持ちを反映しやすい 世界的には珍しいのかもしれませんが 日本にとてもマッチした選挙制度だったのです。
    ですから 中選挙区制度に戻せば 再び個性的な野党が息を吹き返すのかもしれませんが 現在のように 野党という立場は取っているけれど 根っこは自民党出身の議員や 選挙地盤の事情でたまたま野党から出馬しているような議員ばかりの野党では 国会でも本当の意味での政策論争など行われるはずがありませんから 猶更菅のジッチャンの首相としての椅子が安泰になってしまって そんな話は聞いていなかった 知らなかったなんて ド厚かましい言い訳を どや顔で言い出せてしまいます。自民党にとって 不利益になる中選挙区制度に戻すような話は 恐らく永久に持ち上がりもしないでしょう。
    私が政治家として 圧倒的に大嫌いな政治家である アベチャンが退陣してくれさえすれば きっと明るい日本が見えてくると 長いこと信じていましたが アベチャンの次が さらに不愉快極まりない独裁者になってしまったのでは 本当に日本の未来は 絶望的だと思います。期待しても無駄なことは 重々承知していますが 菅のジッチャンに ほんの少しでも人間としての良心があるのなら 学術会議のメンバーから六人を外したのは 政府にたてつくような発言や行動があったからだと 正直に告白してもらいたいです。誰が言い出したのか知りませんが 総理はこの六人の存在を知らなかった という事にしましょう と言い出した総理の側近は 今後明るい未来が待っているのでしょうね。その分日本の未来が暗くなってしまいますけれど。

  • 10月9日 語呂合わせで 塾の日なのだそうです

    私は 自分で塾に通ったことは一度もございません。勿論家庭教師などつけてもらったこともございません。子供のころから 勉強が勿論好きではありませんでしたが 授業内容をその場で理解できない事は殆どありませんでしたし 学業の面で 人に後れを取りたくはなかったので 幾らか理解や記憶に不安がある場合は 自発的にその不安を解消するための勉強を自ら自宅で 自分の机に向かって 努力をすることにそんなに抵抗はありませんでしたから 塾や家庭教師の必要性をあまり感じた事はありませんでした。
    そういえば 中三の冬休みに クラスの友達の殆どが 十日間ほど 近所の高校などに出かけて 高校受験に向けての講習会に参加するという事を 母親が友人のお母さん辺りから聞いてきたみたいで 私は興味がなかったのですが かなりの割合の中学三年生が 参加するらしいという話に 両親がいたく影響を受けたみたいで 私に強く薦めてきましたので 仕方なしに 一番仲の良かった友達が参加する講習会に 慌てて申し込み 参加したことがあります。
    一クラスが二十人位で 見知らぬ制服を着た初対面のよその中学生の人たちに交じって 授業を受けてその日の最後に その日講習を受けた内容についてのテストを繰り返し受けました。最後にテストの成績をもとに受験校への合格の可能性などについて アドバイスを受けました。私は こんな講習会になんか参加しなくても 受験校に受かる自信がありましたので 無駄な労力のようにも思いましたが 見知らぬ人ばかりの中でテストを受ける という事が 本番に緊張しまくるビビり野郎の私にとっては とても良い受験本番の予行演習になったみたいでしたから 後から考えれば 参加してみてよかったと言えるのかもしれません。
    そんなわけで 教えを受ける生徒としての立場では 学習塾とは殆ど縁がありませんでしたが 二つ目の大学である岐阜大学に通うのには 必要不可欠の存在となりました。一つ目の大学 立命館大学理工学部は 普通の大学生として 恥ずかしながら 授業料から生活費まで すべて両親に面倒を見てもらって卒業させてもらいました。所が 塩野義製薬という 一流企業に上手いこと就職出来て それなりに頑張ってみたつもりでしたが 一生続けてはいけないと 自分勝手に考えて どうしても獣医師になりたいという一旦は諦めた夢を追い求めたくて もう一度大学受験からやり直す決意をして 退職しました。そこから受験勉強をやり直して 何とか岐阜大学農学部獣医学科に合格して 六年間大学に通いましたが その間の授業料から生活費まで 稼ぎ出してくれたのが 塾の講師としてのアルバイトでした。
    小さな塾の先生の場合 五科目全てを担当するのが 当たり前のようでしたが 効率よく稼ぐのには どうしても規模の大きな塾の方が 好都合であることに気づきましたので 岐阜駅のすぐ近所にある 岐阜県でも有数の大きな規模の塾の講師として 働き始めました。中学生相手ですから 五科目別にどれでも 対応できる自信はありました。英語や数学が教えやすいけれど 逆に誰にでも教えられそうで 希望者も多いでしょうから 止めておきました。理科や社会でも 殆どの場合には対応できそうに思いましたが 重箱の隅をつつくような細かい知識の場合 うっかり知りません 対応できませんなんて絶対に答えたくなかったので これまた止めにしておきました。
    国語の先生というのは 何を教えればいいのか 分かりにくいので 希望者が少ないであろうから 確固たる信念を持って授業に臨み 自信にあふれた教え方が出来るのであれば 希少価値があり 重宝される存在になりやすいと判断しましたので 国語の先生になりました。よしんば 漢字や言葉の意味合いにいくらか不安があれば 生徒の見ている前で堂々と持参した辞書を引いて受け答えをすればよいのです。もし生徒から 自信がないから辞書を引くのか と質問されたなら 百パーセント確実な知識を授ける為の確認作業であると 自信たっぷりに答えればよいのです。受験には不確かな知識を百個かき集めるよりも 絶対に間違いない知識を十個持っている方が 有利なのである と言った発言を信念に満ちた表情で話せる勇気があれば 中学生相手の塾の講師なんか 簡単に務まるのです。
    あとは 大阪から来たおもろいおっさん役に徹すれば 一見怖くて厳しいけれど 面白くて分かり易い先生という評価を 生徒から引き出せるのです。私の授業は 妥協を許さないので ピリピリした雰囲気はありましたが 生徒が笑い転げるポイントを 四十五分の授業の中で 少なくとも十回以上は用意しておきましたので それでも怖くて嫌いだ という生徒もいたでしょうが 面白くて楽しいと評価してくれた生徒の方がずっと多かったのは アンケート結果から間違いなかったみたいです。大学や中学が普通に授業がある月は 十万円足らず 夏や冬の休み期間は 殆ど連日講習会の授業を受け持てるだけ受け持ちましたので 二十万前後稼ぎ出しましたので 生活費+授業料や本代 を何とか賄えるだけ稼ぎ出せましたので 親からの援助を受けずに 自力で六年間経済的に乗り切ることができました。ひとえに中学生向け塾のアルバイトのおかげです。
    がむしゃらに塾の講師として頑張ったのは 四十年ぐらい前の事ですが 今思い出すと懐かしくて 楽しかったことばかりが浮かんできます。いつも その場の思い付きで 生徒を笑わせて 自分も楽しんでおりましたので ひょっとしたら塾の講師が 天職なのではないかとふと考えたことがありましたし 勤めていた塾側からも 正社員としての講師を真剣に考えてみないか という嬉しいお誘いを受けたこともございました。
    でも私は開業獣医師になるために 必死に頑張っている最中だという事を よく自覚して思い留まりました。塾の先生という道を選んでいれば 全く違った人生になっていたでしょうし それはそれで結構楽しくて充実した人生だったのかもしれません。でも自分としては 塩野義製薬という一流企業で働くことを放棄してまで そして死ぬ気で頑張って受験勉強をやり直して 決死の覚悟で受験してようやく合格した獣医師への道を 踏み外さなくてよかったのだと思っております。でもまたチャンスがあれば 塾の国語の先生として 授業をやってみたいという気持ちは 正直あります。年は取りましたが 中学生を笑わせながら 授業の内容を一つでも生徒に納得させて 国語力をアップさせる授業ができる自信は 今でも持ち続けております。 

  • 10月8日 9月の連休のツケが回ってきて 感染確認人数が急増することを予想していましたが 杞憂に終わったみたいです

    九月の下旬の四連休には はっきり言って これまで相当に自粛モードで生活されたいた皆さんの気持ちが 一気に緩んでしまったように感じていましたから 恐らく二週間後には そのツケが間違いなく回ってきたかのように 所謂第三波のきっかけになるのではないかと 予想しておりましたが 杞憂に終わってくれたみたいなので ホッとしております。真面目に自粛生活を心がけておられた方々ですから 旅行に出かけるにしても 移動中も 宿泊先でも 細心の注意を払って 行動された成果が表れたのかもしれません。勿論 交通機関にしても 宿泊施設にしても 自分の所から 感染拡大につながった事実が判明してしまうと そのことが以後の利用客拡大に とてつもない障害になるのでしょうから 最大限に感染予防策を徹底された成果が 如実に表れたおかげだと思い 日本人のまじめさ そして優秀さに 改めて感心してしまいました。
    有難いことに 新型コロナ感染症の流行という大きな災いが 動物病院業界には 殆ど影響がなかったみたいなので 正直対岸の火事みたいな 気楽な態度で生活しておりました私ですが 以前はマスクを装着しなくても 出入りできていた食べ物屋さんが 第一波よりも大きなふり幅の第二波が やってきてから緊急事態宣言が発令されていた時期よりも 明らかに厳しい態度で感染予防対策に臨んでいるみたいです。私は この病気がこの世の中から 消えてなくなることなどあり得ない ごく普通の風邪やインフルエンザと同様に 人間社会と共存していく病気だと考えてはおりますが 当面生活に支障がない範囲で 予防対策を頑張って 目の前の感染確認人数が減少してくれることは 喜ばしい話だと思いますので 私としては面倒であり窮屈にも思いますが マスクの装着を口うるさく要求されるぐらいは 受け入れておとなしく言うことを聞いておこうと思っております。
    経済再生相が今頃になって、休業要請に応じない事業者に対して罰則規定を設ける法改正を検討していく考えを示しました。現在 取り立てて休業要請が必要だとは考えられない時期ですが 恐らく第三波がどのような規模で何時頃やってくるのか 見当もつきませんが 感染確認人数が再び増大した時に 行われるかもしれない休業要請に従わない者に対する罰則を規定すべきか否かという話が 再び沸き起こるでしょうから ひょっとしたらいいタイミングでの発言かもしれません。
    日本では 法律的に 国民に強制までしてしまうことに対して 殆ど全国民が極端にアレルギー反応を起こしますので 外国で行われている ロックダウンのような徹底した国民の移動や外出を抑え込むことは法律的に見ても出来ないのだそうです。出来るのは 外出の自粛要請位のものです。外国のように 厳しく命令されていても その決まりを破って外出するものが絶えないので 日本の自粛要請に対して 世界中が笑って様子を見ていました。所が 日本人の ある意味バカなんじゃないかと思わないでもありませんが 真面目に自粛生活を 徹底して行いましたから 世界が唖然としてしまいました。
    国民の不要不急の外出を自粛して かなり広い範囲の業種で営業を自粛してしまいました。私のように不真面目な人間は 外出時にマスクは装着しないし その頻度も日常と全く変わりない生活を送っていた人がいないわけではありませんが 大部分の国民が 真面目に一途に国からの自粛要請を 正面から受け止めて 見事に自粛生活を全うして見せて その効果が如実に表れて 一時期は感染確認人数も相当に減少しました。但し こんな不自然な生活をいつまでも続けていられるわけはなくて 自粛を緩めると すぐに第二波がやってきました。要するに臭いものに徹底的にふたをしたので 臭いにおいは一時的に弱まりましたが ふたを徐々に開けていったら またまた臭いにおいが立ち込めてくるのは 当然すぎる結果だと思います。
    ですから 九月の連休にそれこそ一時に大きくふたを取り払いましたから 直ぐにまた臭いにおいが立ち込めてくると予想しておりましたが ここでもまた真面目で勤勉な日本人の特長が 示されたみたいで 感染者確認人数の増加につながりませんでした。このまま順調に確認人数が落ち着いていってくれたら 色んな業種の苦しんでおられる方々が楽になっていってくれるのかもしれません。そんなに簡単に この病気を日常生活の中に常にある病気として受け入れることは 難しいのかもしれませんが 全く無症状の感染者が相当数存在する以上 感染経路の割り出せる確率も低くなってしまうのでしょうから この病気を完全に駆逐してしまう事は 不可能だと思います。
    この病気に対する大騒ぎが いつどんな形で 終息を迎えたと判断するのか 予測は難しそうですが 色んな方面でお仕事を頑張っておられる方々のために 一日も早く 落ち着いてほしいものだと心より望みます。その日まで 短くはないでしょうし 簡単でもないと思いますが 皆で頑張って 現在の窮屈な生活に 耐え忍んでまいりましょう。